レイプ被害者自らが問う―司法制度における「ブラックボックス」の正体

社会

公開日:2017/12/29

『Black Box』(文藝春秋)

 日本は欧米諸国に比べて強姦罪による起訴が少ない国である。この事実をもってして「日本は治安が良く、性への意識が高い国」だと言う人もいるだろう。しかし、「強姦が起こっても起訴するのが極端に難しい国」だとも解釈できる。レイプ事件において被害者よりも被疑者の証言が尊重される現行の司法制度では、犯罪者が野放しになっている例も少なくない。

 以上の言及がなされた『Black Box』(文藝春秋)はジャーナリストの伊藤詩織さんが遭遇したレイプ事件について、自ら告発したドキュメントである。レイプ事件の多くは第三者からは見えない空間=ブラックボックスで行われるため、検挙が難しい。それゆえに、捜査すら杜撰に行われ、往々にして被害者が「セカンドレイプ」ともいうべき屈辱を被る。「大事な人たちを同じ目に遭わせたくない」との思いから綴られた伊藤さんの言葉は、日本の司法制度の矛盾を深く抉ってくる。

 伊藤さんがTBSのワシントン支局長(当時)だった山口敬之氏と知り合ったのは2013年のことである。2015年3月になってから就職先を探していた伊藤さんは、山口さんの伝手を頼ってメールを送った。ほどなくして2人は仕事の話をする流れになり、4月3日、待ち合わせをする。

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 しかし、仕事についての具体的な話はほとんどなく、山口氏に言われるがまま伊藤さんは飲食店をはしごする。普段は酒に強いはずの伊藤さんの記憶は不自然に途切れており、気がついたのはホテルの中で山口氏が行為に及んでいた最中だった。なんとかホテルを出た伊藤さんだったが、体には痛みが残り、望まない妊娠の恐怖が伊藤さんを襲う。友人の勧めもあって伊藤さんは勇気を振り絞り、警察に訴え出る。

 ところが、迅速に動いてくれると思っていた警察から返ってきたのは「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」という言葉だった。また、友人の力を借りて山口氏に事実を確認するためのメールを送っても一向に謝罪の言葉は引き出せない。「ブラックボックス」であるレイプ犯罪に対して、被害者である伊藤さんはあまりにも無力だった。

 それでも伊藤さんはホテルの防犯カメラの映像を証拠として確保するなどして、告訴できるだけの証拠を固めていく。そして6月8日、アメリカから帰国する山口氏を「空港で逮捕する」と約束してもらえるまでに、警察を動かすに至った。しかし、当日になって山口氏の逮捕に「待った」がかかる。驚くべきことに判断を下したのは警視庁のトップだった。

 逮捕の見送りについて、男性捜査官が伊藤さんに説明した内容はあまりにも理不尽だ。

社会的地位のある人は居所がはっきりしているし、家族や関係者もいて逃走の恐れがない。だから、逮捕の必要がないのです。

 これでは、「社会的地位の高い人物は罪を犯しても逮捕されない」と警察が認めているに等しい。ちなみに、伊藤さんに対して警察が繰り返し使ったフレーズは「疑わしきは罰せず」だった。2016年7月27日、担当検事より正式に、本件は不起訴処分が下される。

 ただし、担当捜査官や検事だけを糾弾しても本件の本質には至らないだろう。密室での強姦罪は「被疑者の主観」によって立証される傾向がある。極端な話、被疑者が強姦の意志を認めなければ高確率で不起訴になる。責めるとすれば法律そのものに隙があるのだ。

 せめてもの教訓として、伊藤さんは「事件直後のホテルですぐ警察に通報しなかったこと」「事件後、産婦人科ではなく救急外来に行くべきだったこと」を悔やみ続けている。レイプの証拠を検知するための「レイプキット」は産婦人科に備わっていない。レイプの可能性がある状況では救急外来に行く方が適切なのだ。

 伊藤さんはレイプを「魂の殺人」と呼ぶ。現在でも伊藤さんは事件の後遺症に苦しみ、日常生活に支障をきたしている。一方で、記者会見を行って事件を告発するなど、新たなレイプ被害者を生まないための努力も惜しまない。本書は「ブラックボックス」に光を当てながら、機能不全のシステムや偏見に立ち向かっているのである。

文=石塚就一