「笑える鬱屈」、坂口安吾の饒舌であらくれの世界

小説・エッセイ

公開日:2012/2/19

木枯の酒倉から・風博士

ハード : PC/iPhone/iPad/Android 発売元 : 講談社
ジャンル: 購入元:eBookJapan
著者名:坂口安吾 価格:1,134円

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坂口安吾ほど「鬱屈」という言葉の似合う作家はいない。井伏鱒二ふうにいうと「思いぞ屈せし」というやつである。だがこれは、退屈や難解をそのまま指しはしない。

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安吾文学の本質は「痛快」である。
人生や青春や生い立ちや他者や、ありとあらゆるものが苦悩となって安吾の上にのしかかり、その質量の膨大さからあたかも重すぎる星のように途方もなく圧縮され、光さえ吸い込んで閉じこもる暗黒星のように暗鬱した安吾は、文学という表現を身につけることで、一気にはじけ、鬱屈の中の痛快を手に入れたのである。

痛快なる安吾の小説は、手ごたえのある軽みと、ほの暗い美学をまとい、われわれを解放へと導く。ある時は笑わせもする。

だがその笑いは、コメディではない。ファルス、ドタバタ、笑劇である。

この本には収められていないが、「FARCEに就て」という評論の中で、こういっている。

「ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。(略)ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。(略)つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない。人間ありのままの混沌を永遠に肯定し続けて止まない所の根気の程を、呆れ果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して持ちつづけるだけのことである」

ここに書かれたことは、安吾文学が実現した表現そのものだ。

表題作「木枯しの酒倉から」、徹頭徹尾馬鹿騒ぎの「風博士」、あるいは小さな寒村で婚礼と葬式が同じ日に起きて巻き起こる村人たちの狂騒「村のひと騒ぎ」などさっと目を通されよ。実にもって饒舌に、ユーモラスな文体が、はじけて飛び出してくるのだがそれは安吾の苦悩がはじけているからだ。だから、作品に中身がある。

否定をも肯定する態度とは、ほかならぬ実存主義であるが、安吾のそれは「哄笑する実存主義」なのである。


何も言わずにとにかくまず読まれよ。やられる人はこの文体に一発でやられるのです

転げだしてきた半狂人は物語をはじめるのであった

饒舌にして拡張と滑稽の入り交じった物語は突っ走っていく (C)講談社