読点(、)はどのタイミングで打てばいい? 日本語がもっと使いこなせる辞書編集委員の驚きの技術!

ビジネス

2018/1/16

辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(PHP研究所)

 私たちは日本語を使って生活しているが、日本語を使いこなしているかどうかはアヤシイところだ。読点(、)を打つ正しいタイミングとか、角の立たない表現テクニックとか、誰もが知っているようで知らない、もっと便利に活用できる余地がたくさんある。それを教えてくれるのが、『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(PHP研究所)の著者の飯間浩明さんだ。『三省堂国語辞典』の編集委員、いわゆる「辞書編纂者」という仕事をしている著者が、もっと日本語を使いこなし、私たちのコミュニケーションをスムーズにする方法を本書で紹介している。

■読点(、)はどのタイミングで打つのが正しいか?

 読者は文を書くとき、読点(、)をどのタイミングで打っているだろうか。なんとなく好きなタイミングで打っている人もいれば、独自ルールを決めて打っている人もいるだろう。著者によると、読点には「文の骨組みをはっきり示す」という役割があり、以下のルールで打つと、文が読みやすくなるそうだ。

・「出来事」と「出来事」の間に打つ
・割り込んだ部分の直前に打つ

 例を交えて説明しよう。

学校から帰ってから彩ちゃんと渋谷へ映画を見に行ったがつまらなかったので途中で出てきてカフェでずっと話していた。

 んー、実に読みにくい文だ。読点の大切さが分かる。この一文を整理してみると、以下のようになる。

1 私は学校から帰った。
2 私は彩ちゃんと渋谷へ映画を見に行った。
3 映画はつまらなかった。
4 私たちは途中で出てきた。
5 私たちはカフェでずっと話していた。

 この5つの出来事をまったく切らずに書いているので、分かりにくくなっているのだ。つまり前出の文に4つの読点を打って、5つの出来事に切れ目を示せばいい。

学校から帰ってから、 彩ちゃんと渋谷へ映画を見に行ったが、 つまらなかったので、途中で出てきて、 カフェでずっと話していた。

 もう1つ例文を載せよう。

彩ちゃんがフランスで修行したシェフのレストランに連れて行ってくれた。

 フランスで修行したのは「シェフ」なのか「彩ちゃん」なのか、誤解を生みそうな文だ。これも読点がないために、読みにくくなっている。どこに読点を打つべきか探るため、まずは基本の文を抜き出してみる。

彩ちゃんがレストランに連れて行ってくれた。

 この文の途中に「フランスで修行したシェフの」が割り込んでいるのだ。したがって、割り込んだ部分の直前に読点を打つと、誤解を避けることができる。

彩ちゃんが、フランスで修行したシェフのレストランに連れて行ってくれた。

 他にも読点を打つルールがあるものの、この2つのルールを守っていれば、読みやすい文が書けると著者は述べている。

■形容詞を動詞に変換する角の立たない言い方

 衣料品メーカーは、「太った人」のことを「ふくよかな方」と言い換える。「サイズが大きい」という直接的なニュアンスを打ち消した優しい言い方だ。また、かつらや植毛の会社では、「禿げ」のことを「薄毛」と称する。前者は頭髪のなくなった部分に重点を置いた表現、後者は残った部分を中心にした表現だ。もちろん後者のほうが、感じがいい。

 このように同じことを言うのでも、表現の仕方によって、ニュアンスがよくも悪くもなる。これをことわざで「丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ」という。社交術や子育てでも知られているように、人を評価するときは、否定的な表現よりも肯定的な表現を使ったほうが効果的だ。

 たとえば「優柔不断な人」と言えば否定的だが、「慎重な人」と言えば肯定的になる。同様に、「泣き虫」は「涙もろい」と言い換えることができるし、「なれなれしい」は「誰にでも気さくに接する」と言い換えることができる。相手のいい面を見るように心がければ、肯定的な表現はおのずと導き出せる。

 それでも「難しいなぁ」と感じてしまうならば、「形容詞」を「動詞」に変換するといいかもしれない。著者によると、一般に、形容詞を多用すると、感情や評価を含む主観的な表現になりがちだそうだ。一方、動詞を使うと、称賛も批判も含まない客観的な言い方がしやすくなる。このことは以下の2つの文を見ると分かりやすい。

この本は汚い。

この本は汚れている。

 両者を比べると、前者は「いやだな」という否定的な気持ちが入っている。後者は事実をそのまま述べている。このように動詞中心の言い方は比較的角が立たないのだ。

 この「形容詞→動詞」の変換を活用すると、誰かに注意するときや子どもに叱るときも、表現がかなり変わってくる。

「あなたは毎回、時間にだらしない。私も困るので改めてください」

「あなたは毎回、時間に遅れます。私も困るので改めてください」

「この前はテストで70点だったのに、今度は60点なんて悪い点数をとったね。次は上がるようにしよう」

「この前はテストで70点だったのに、今度は60点に落ちてしまったんだね。次は上がるようにしよう」

 どちらも単に事実を述べているだけなので、受け止めやすい表現になったはずだ。

 筆者の個人的な考えだが、人の性格や考え方というのは、話し言葉や書き言葉に表れると思っている。自分のやりたいこと・考えたことをそのまま表現するのが文字であり、それを塊にして誰かに伝えるのが文章だ。つまり日頃から日本語をおろそかにしている人は性格や考え方も育たないだろうし、性格や考え方が歪んでいる人は日本語も歪んでいるのではないか。様々な自己啓発本が出版されている昨今だが、本書を読むと、まずは自身の日本語を育てるところから始めるべきではないかと感じる。日本語を使いこなしてこそ、私たちの毎日が輝くのではないだろうか。

文=いのうえゆきひろ