才能は「遺伝」が重要な要素? 運も実力のうち? 人生を決める要因とは何か?

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公開日:2018/1/25

『遺伝か、能力か、環境か、努力か、運なのか 人生は何で決まるのか』(平凡社)

 同じようなことを言っていても、注目される人もいれば無視される人もいる。生まれつき美しい人やそうでない人、代々親と同じ仕事を受け継ぐ人もいる。そして資産家の家に生まれてぜいたく三昧の子どももいれば、今日食べるものにも事欠く子どももいる。

 このような不平等は、どうしたら是正できるのか。京都女子大学客員教授の橘木俊詔さんが書いた『遺伝か、能力か、環境か、努力か、運なのか 人生は何で決まるのか』(平凡社)は、何によって人生が決まるのかということを多角的に検討している。

 まずは親から継承する資質として「遺伝」があるが、親が優秀なら子も優秀なのだろうか。橘木さんはその説明として、戦国時代から江戸にかけて権勢をふるった、絵師の狩野一家を取り上げている。足利・室町幕府の御用絵師だった初代狩野正信から高名な四代目の狩野永徳、八代目狩野安信やその兄の狩野探幽など、狩野家は優秀な絵師揃いだった。また誰もがあの独特なヘアスタイルを思い浮かべる、音楽家のヨハン・セバスティアン・バッハも、80名にものぼる音楽家一族に生まれ育ったそうだ。

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 では優秀な家の子どもは、全員が優秀なのだろうか。実はバッハ家の皆が名声が高かったわけではないし、狩野家は一族を徳川家・豊臣家・宮廷に送り込んで、絵師としての寵愛を受けるための根回しも怠らなかった。そしてこの考えに偏りすぎると、かのナチス・ドイツが「アーリア人(ゲルマン民族)こそが世界で一番優秀。ユダヤ民族は排除すべきである」と提唱した、特定の民族だけが優秀だとする優生思想に辿り着く危険性があり、「遺伝子は神ではなく歯車に過ぎない」と、橘木さんは指摘する。

 橘木さんは父母ともに体操選手だった内村航平を例に挙げ、子ども時代から体操を続けて体育大学に通い、練習に励んだからこそ結果が出たのだと語っている。確かに内村選手が優秀な遺伝子を受け継いでいたとしても、体操が嫌いでまったく練習をしなかったら、今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。

 また内村選手を見てもわかるように「運動能力は遺伝がかなり重要といえそうである」と橘木さんも言うが、子どもの知能は親の知能では決まらないという。では、知能とは何か。橘木さんはリンダ・ゴッドフレッドソンという人が定義した、

「知能」とはきわめて一般的な能力であって、「推論する」「計画を立てる」「問題を解く」「抽象的に考える」「複雑な考えを理解する」「素早く学ぶ」「経験から学ぶ」と行った能力を含んでいる

 を引用している。しかし、

学問、学力とは異なることに注意されたい。

 とも言っている。勉強ができる=知能が高いではないのだ。そもそも知能指数を測るためのIQテストは、勉強ができるできないとは関係がない。勉強は親や周囲によって左右されることも大きく、落ち着いた環境で学ぶことで、ぐんと成績を伸ばす子どもはたくさんいる。

 しかしこれでは、「良い家庭環境で育たない限り、優秀な人間にはなれない」と言ってしまっているようなものである。家庭環境が劣悪であっても、優秀な大人に育った人はたくさんいる。必要なのは自分が何に向いているかを分析し、見込みがないことは諦める潔さと、地道な努力と言えるだろう。同書はMBAのスターで身長196センチのレイ・アレン選手が「神様はアレンに高い運動能力を与えたのだ」という記事に対して、「自分は練習の虫で、どれだけ努力をしてきたか」をもっと書いてほしいと反発したエピソードを引用している。彼は高校時代、シュートのうまい選手ではなくむしろ下手だった。しかし誰よりも練習に取り組んだことで、一流の選手となることができたそうだ。

 結局のところ人生が何で決まるのかといえば、「決まる要因は色々あるけれど、努力を怠ったら錆びてしまう」ということなのだろう。「運も実力のうち」といわれ、確かに事故や天災など本人の努力だけでは回避しきれないリスクはたくさんある。とはいえ、どうしたらリスクを回避することができるかを学ぶ努力は必要だし、

失敗の原因を運だけに帰して、自分の才能や努力の欠如を無視すると、再度トライしても、また失敗する可能性が高い。

 と、橘木さんも言う。

 常に努力をしなければならない生き方はしんどい気もするが、遺伝や環境など与えられた条件を克服して人生を謳歌するには、それしかないのかもしれない。

文=霧隠彩子