上司からの曖昧な指示、どう忖度する?! 『「忖度」の構造 空気を読みすぎる部下、責任を取らない上司』

ビジネス

更新日:2018/2/13

『「忖度」の構造 空気を読みすぎる部下、責任を取らない上司』
(榎本博明/イースト・プレス)

 2017年に世間をもっとも賑わせたキーワード「忖度」と、私たちの関わりを明らかにする『「忖度」の構造 空気を読みすぎる部下、責任を取らない上司』(榎本博明/イースト・プレス)が発売されている。

■私たちのすぐ身近にある「忖度」

 このところ一気に認知度が高まった感のある言葉、「忖度(そんたく)」。それはけっして、政治家や官僚、マスコミの世界だけの、特殊なものではない。会社勤めをしている人なら、例えばこんな経験をしたことはないだろうか。

 上司から明確な指示はなく、ただ「よろしく」と曖昧に言われただけ。しかし、デキる部下たる者、空気を読み、先回りして仕事をしなければならない。「指示待ち」は評価されないものだし、事細かく聞いてしまえば、「いちいち言わないとわからないのか」と叱られてしまうことだってあるのだから。
 だが、良かれと思ってしたその仕事に、上司が発したのは「そんな指示はしていない」という理不尽なひと言…。

 上記は勤め人にありがちな悲哀だが、多少の程度や構図の違いこそあれ、似たような話は、学校や家庭でも見受けられるはずだ。日本社会で生きている人なら、身に覚えがあるのではないか。
 こうした人間関係の背景にある心理こそが、「忖度」である。そう、「忖度」は、私たちの身の回りに、普通に存在しているのだ。
 そんな、私たちが無意識にとらわれている暗黙のルール、「忖度」。このつかみどころのないコミュニケーションについて、本書は「ああ、こんなことあるよね」という身近な事例を示しながら、その裏にある心のはたらきを明らかにしていく。

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■常に「忖度」の中で生きている日本人

 誰も、他人との関わりをもたずに生きていくことはできない。その中で、自分自身の気持ちや意見に従うか、相手の気持ちや立場へ配慮するか、欧米と日本には文化的違いがあることを著者は指摘する。

「忖度」が国会を騒がせた際、外国特派員協会での記者会見にあたり、通訳はこの言葉をうまく訳せなかったそうだ。欧米にはこうした文化はないからだ。なぜ、明確な指示もなく、上位者は下の者を動かせるのか。なぜ、指示もないのに、下の者は上位者の意向を汲み取って動いたりするのか。欧米人には理解できないという。

 相手の意向を汲み、期待を裏切らないことを美徳とする、日本的コミュニケーション。そこでは、はっきりと言葉でやりとりせずに相手の意向を汲み取る、行間に隠された大事なことを読み取るといった、いわゆる「空気を読む」ことが何より重視される。日本人の間を流れる空気の中に「忖度」は存在し、忖度される側もする側も、無自覚にそれを行っている。
「忖度」に対しては、報道のされ方から、なんとなくネガティブな印象をもっている人も多いのではないだろうか。責任の所在がはっきりしない、日本の社会問題の背景という面はたしかにある。かつて日本人は、命のやりとりを行う戦場においてすら、理性的な判断よりも感情を優先し、悲惨な敗戦を招いた。その原因のひとつに、作戦伝達を明確な言葉ではなく「微妙な表現」で「察してもらう」という行為があったことは間違いない。現代の大企業の不祥事にも、同じ構図があるだろう。日本人の心に脈々と受け継がれる「忖度」の意識は、そう簡単に消えるものではないのだ。

■「忖度」は必ずしも悪ではない

 しかし、別の言い方をすれば、日本人の心には、相手の気持ちや立場を尊重する姿勢が刻まれているともいえる。自己主張と説得を主な目的にした欧米流のコミュニケーションに対して、日本流のそれは、心地よい関係の形成や維持を目的とする。
 例えば、仕事で成果を出し褒められた際、「私の実力です」と積極的な自己アピールをするよりも、「周囲の助けがあったからです」と謙虚な姿勢を示したほうが、日本では好意的に受け取られることが多いだろう。

「忖度」はけっして悪ではない。使いようによって、心地よい人間関係を築き、争いの少ない社会をもたらすことにもつながるものだと、著者は説く。問題なのは、忖度によって行われたことが適切だったか、不適切だったか、なのだ。
 だから、会社や学校でたとえ理不尽な目にあったとしても、めげずに正しく、「忖度」につき合っていくとしよう。

文=齋藤詠月