「高所得の人」と「低所得の人」の健康格差をシミュレートしてみた。NHKスペシャル取材班が総力を挙げて迫る

社会

公開日:2018/1/29

『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』(NHKスペシャル取材班/講談社)

 本書『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』(講談社)で書かれているのは、ズバリ、「高所得の人」と「低所得の人」の健康格差だ。具体的に、富裕層と貧困層でどんな健康格差があるのか、本書をネタにシミュレートしてみた。

 まずは「高所得」の場合。

 子供の頃より、フード左翼ともいえる健康意識高い系の親から、五大栄養素を考慮した栄養バランスの良い手作り料理を食べさせてもらい、野菜や果物の必要性を頭と体で認識。食育とは何かを知る。レジャーやアウトドアの体験を糧に、体を動かす習慣も楽しく身に着ける。その結果、自然とスリムで健康な体にすくすく育つ。ジャンクフードや清涼飲料水の危険性もしばしば親から教えられ、「食べてよい物・悪い物」の情報リテラシーも習得しながら育つ。食品を購入する際は、フードラベルを読み、カロリーや成分表示を確認するのが当たり前の習慣となっている。

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 無事に大学教育を終え、正規社員として就職。福利厚生の整った会社で定期的に健康診断を受け、体調が悪い場合は有休や病気休暇を利用し、しっかり治療。定年まで健康不安もなく勤め上げる。老後、介護が必要になると、計画的に貯めてきたお金で、特別養護老人ホームに入所。子供たちに介護の面倒をかけることもなく、手厚いケアを受けて過ごす。

 お次は、「低所得」な場合。

 子供の頃の食事はジャンクフードが中心。野菜は調理が面倒だし、果物は高いので、ほとんど食卓に上らない。腹を膨らませることを主眼に置いた炭水化物一択メニューで肥満児一直線。旅行に行く余裕はないので、家でゲーム漬けのため、さらに肥満が加速。

 義務教育を終えた後は、就職もできず、非正規で職を転々とする。昼夜を問わぬシフトと長時間労働で健康に気を使う時間はなく、食事のメインは牛丼とコンビニ弁当。気がつけば若くして2型糖尿病を発症。病院に行かねばと思うが、経済的にも時間的にも余裕がなく、悪化する健康状態を放置プレイ。ついに、ブラック企業で使い潰しの目に遭い、体を壊して退職。さらに条件の悪いスポット職で食いつなぐ状態に。

 老後、面倒を見てくれる家族もおらず、生活保護を申請。以前にも増して生活の余裕がなくなり、食事は菓子パン中心に。歯槽膿漏が悪化するも、歯科には10年以上ご無沙汰で、残りの歯は8本ほどに。ついに糖尿病の悪化で介護が必要な状態となる。特別養護老人ホームは定員オーバーで5年待ち。選択の余地がなく、激安の有料老人ホームに入所。ところが、あてがわれた部屋はベニヤ板で囲った個室もどき。食事は調理パンやコンビニおにぎり。暴れないように手足を縛られた痴呆老人が叫ぶ貧困ビジネスの巣窟であった……。痴呆老人が叫ぶ声を聞きながら、不自由な体を呪い、一刻も早くこの世を去りたいと願うのであった。

 どうですか。この格差。まるで童話の世界か、ってぐらいわかりやすい対比。残酷すぎて声も出ないっていうか。本書では、上述のような格差を、データに基づいて、これでもかと提示してくる。薄々わかっていたとは言え、ここまではっきりとデータを出されると、正直辛いものがあります。しかしまあ、凹んでいる場合ではなく、「雇用と所得」「住んでいる地域」等によって、何故こんなにも大きな健康格差が生まれてしまったのか。また、この健康格差に対して、世界の他の国や日本国内でのアプローチはどんなものなのか? それらを本書では解き明かしていく。

 健康寿命が東京都の平均より2歳も短く、東京23区で糖尿病の一人当たりの医療費が一番高いという足立区が、これじゃまずいということで行った捨て身の広報や、パチンコ屋の駐車場でナースコスプレの女性に健康チェックを呼びかけさせる企業など、公的か民間かを問わぬ試みの数々は、健康格差の問題が膨れ上がりつつあることを実感させる。

 本書の読みどころは、「健康格差」が自己責任かどうかを徹底討論した最終章だ。意見は、「自己責任で解決すべき派」と「社会の問題として考えるべき派」に真っ二つに分かれた。

 読者は、第1章から第4章を通して頭に入れた健康格差についての客観データを前提に、自分の立ち位置を問われるに違いない。「自己責任」と言い切るのは、ド貧乏な生い立ちで公園の雑草を食べてサバイバルした少年期を持つ風間トオル。勤務先の商社の倒産後、訪問マッサージ業に転身し、ついでにメタボも克服した経験を持つ70代の自営業の男性も自己責任派だ。どちらも、基本は「やればできる」的な発想なのだが、これに対して異を唱えるのが、「社会の問題として考えるべき派」。そもそも健康格差が生まれた背景は個人ではどうしようもできないもので、人生が詰んだ場合には社会保障がフォローし、国家がセーフティーネットであるべきだと。

 どちらが正しいかは読者が自分で考えるところだと思うが、自分としては、あんまり国家はアテにしていない。風間トオルの精神論に完全同意はしないけれど、人生ハードモードを想定して自衛手段を取るのは持たざる者の必須スキルだと思う。いや、だからそれができないんだよ! って話なのかもしれないが、貧乏人って、本当に健康な肉体しか頼れるものがないという自覚は大いに必要だと、改めて『健康格差』を読んで再確認したわけである。

 例えば、自然という資源が有限であることに、ようやく人間が気づき始めてから、後手後手で環境保護とか色々な対策がなされるようになってきた。しかしそもそも人間の体だって有限な資源なのだ。まともな栄養も取れないままブラック企業とかで酷使されたりすれば、草木同様に当然、枯れる。限りある肉体資源を大切にしようよ。何故なら、現金も不動産もなければ、日々の糧を生み出すのは自分の体しかない。肉体が唯一の資本である層こそ、毎日昼に牛丼とか100円バーガーとかを食ってちゃまずいんである。とまあ、某牛丼チェーン本社で5年以上非正規で勤めてきた自分は思うわけだ。牛丼割引クーポンとかもらっても、全部ゴミ箱行きだったしな。え? 結論、それは『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』を読んで、皆さんで考えてください。まあ、本のタイトルに結論入ってんだけど。

文=ガンガーラ田津美