男と女、騙し騙され吉原へ。吉原遊郭を扱った江戸川柳の世界

文芸・カルチャー

更新日:2018/2/26

正灯寺おっと皆まで宣うな

 これは江戸の悪友同士の会話を詠んだ句。「どうだい、正灯寺の紅葉見て…」「おっと、皆まで言うな。わかってるわかってる」と。何が「わかってる」なのか。無論、吉原遊郭への遠征である。紅葉狩りはタテマエなのだ。江戸っ子の悪友、ちょっと可愛い。

 本書『吉原の江戸川柳はおもしろい(平凡社新書)』(小栗清吾/平凡社)の冒頭で著者は、江戸川柳で多く題材となったが現代川柳にはあまりないポイントを3点挙げている。1つ目は「詠史句」といって、歴史上の人物を詠んだ句。2つ目は「破礼句」、いわゆる“下ネタ”の句。そして3つ目、これが本書に収録されている「吉原句」である。江戸川柳を題材別に分類したランキングを作れば、たぶんこれが第1位になるだろうと著者は語る。遊郭だけで川柳の一大ジャンルが出来上がるとは、江戸の遊び人、恐るべし。

■江戸のどら息子「もてたい!」

 江戸川柳に出てくる「息子」は、だいたい大商家などの金持ちの若旦那だという。最初は学問に励むが、そのうち色気が出てきて親の目をかすめるようになる。

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細見を四書文選の間(あい)に読み

 ここでの「細見」とは吉原の案内書のこと。四書や文選など難しい勉強をする合間に、細見を読んだりするのが「どら」の始まり。

足音がすると論語の下へ入れ

『論語』の勉強中に細見など読んでいたところ、親の足音が近づいて来たのであわてて『論語』の下に隠す。男子諸君は、思い出す節がきっとあるのではなかろうか。階段を上るオカンの足音がして、エロ本を引き出しに隠す男子中高生と同じカラクリだ。思春期は、今も昔も変わらない。そんな男子の行き着く先は、

細見は分かり論語は分からねえ

 こんな具合になってしまうわけだ。うーん、身に染みる…。

 江戸川柳と聞くと、どうしても難しく身構えてしまいがちだが、決してそんなことはない。今と全然変わらないじゃないか、と。それに、江戸っ子たちは、いろいろな物事に対して「オープン」であるようにも私は感じる。親や妻にバレないように普段通りの外出を装い、でも胸の内では「吉原!吉原! ワクワク!」と。いつもよりオシャレをして格好つけて、しかし鼻の下はしっかりと伸び切っている。そんなコミカルで人間味溢れるワンシーンを川柳にして楽しむ。これぞ江戸っ子の風流だ。

■妻は怖い! でも吉原行きたい!

 どら息子は親の目をかすめるのに必死だが、所帯持ちともなればその努力もさらに上をいく。

女房の聞くように読む偽手紙

 寄合の招集状などを装った偽手紙を、遊び仲間に一筆書いてよこさせる。それをわざわざ女房に聞こえるように読むわけだ。男のバカで真面目な一面を詠んだ句、最高だ。しかし、いつの時代も女のカンは鋭い。

あらかじめ覚(さと)って女房へへんなり

 亭主の涙ぐましい努力にもかかわらず、女房はあらかたお見通しだ。

朝帰りそりゃ始まると両隣

 隣の亭主が朝帰りしてきた。「そりゃ、派手な夫婦喧嘩が始まるぞ」と、両隣の住人は興味津々。お隣さんの期待を担っての夫婦喧嘩は、まず罵詈雑言の言い合いから始まるのだ。

 上にご紹介したものは本書の内容のほんの一部に過ぎない。本書には吉原についての解説や、そこで働く女性たちの世界、騙し騙される男女のおもしろさなど、たくさんの江戸情緒が詰め込まれている。エロはいつの時代も変わらない。クスリと笑える吉原句の世界、ぜひ本書を手に取ってみては?

文=K(稲)