アメリカ現代文学の最先端! このアンバランスな世界で見つけた私だけの孤独とは

文芸・カルチャー

2018/2/25

『AM/PM』(アメリア・グレイ:著、松田青子:訳/河出書房新社)

 筆者の文学好きは、16歳の時に梶井基次郎の『檸檬』を読んで受けた衝撃から始まった。しかし、一体それの何が優れているのかと問われると実に返答が難しい。ただ一つ、これは『檸檬』のみならず梶井の作品全般に言えることだが、彼の作品は、人が体験する「瞬間」の描写と深掘りが凄まじい。多少強引な言い方になるかもしれないが、人生とは、リレーのような「瞬間」の繋がり、もしくは「瞬間」がDNAのような螺旋構造を成して伸びているものなのかもしれない。そしてこの「瞬間」を繊細かつ思慮深く切り取るという行為は、文学のみならず芸術全般の根底にある精神であるようにも思える。

『檸檬』について若干熱弁してしまったが、本稿でご紹介したい小説はこれではない。ただし、梶井のようなテイストの純文学に心を寄せてしまう人ならば、必ず鷲掴みにされてしまう作品であると私は保証する。『AM/PM』(アメリア・グレイ:著、松田青子:訳/河出書房新社)という掌編集だ。米国でいま最も注目を浴びていると言っても過言ではない作家、アメリア・グレイ。本作は、そんな彼女が2009年に発表した(本書=日本語訳版の刊行は2017年)鮮烈のデビュー作である。

 人間関係や恋愛関係を築くことの難しさや不確かさ、孤独や絶望がデフォルトと化した現代社会。さみしい、つらい、悲しいといった叫びが意味を成さないと悟った人々は、瞬間的に、無意識に、“普通”から少しずれた変な言動をとることがある。それは他人から見ると脈絡や意図が不明に思えるかもしれないが、その本人にとっては、人生に抗おうとする必死の抵抗だ。

 著者はその奇跡の「瞬間」を見逃さない。本書『AM/PM』は、人々の日常に存在するギリギリの瞬間を描き出した120の掌編から成る。その120のシーンには、「AM:1」から「120:PM」までの時間が割り振られており、それぞれの編は、不確かなようで、しかし根底で確かに繋がり合っているという「運命の流動」のようなものを感じさせる。

「ライフガード」という言葉以上に重みのある肩書きを思いつかない、という一文から始まるAM:1。物語は120:PMにかけて、存在する時間から、存在しない時間へと、緩やかにずれ込んでいく。ばらばらに散ってしまいそうなそれぞれの「瞬間」を、優しく糸で繋いでいく。

「瞬間」の主として登場する人物は、寝椅子から動かないことに決めた者、箱に閉じ込められている二人、目を開けずに生活している者、魚しか食べないことに決めた者など、作者は、このような「囚われた」状態にある人々の瞬間を繊細に描き出すことにより、現代社会の閉塞感や居心地の悪さを、ドライかつユーモラスに表現することに本作で成功している。

 社会の閉塞感や日常の難しさを感じた瞬間、人々は“普通”から少しだけずれた言動をとることがある。もしかすると、私が本書『AM/PM』を手に取ったのも、そんな心理による行為なのかもしれない。そして本書に心を掴まれてしまったのも、ある意味では、“普通”からずれているのかもしれないとすら感じる読後であった。

文=K(稲)