薩摩兵がひとり暗殺されたら、無関係な旗本が十人殺される。風太郎が描く幕末悲劇

小説・エッセイ

2012/3/1

修羅維新牢 ――山田風太郎幕末小説集

ハード : PC/iPhone/iPad 発売元 : 筑摩書房
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:電子文庫パブリ
著者名:山田風太郎 価格:918円

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明治維新を舞台に、敗れた幕府側の視点で描いた作品は多い。山田風太郎の幕末~明治小説も多くは敗者の側にスポットを当てている。が、風太郎作品はひと味違う。「ほら可哀想でしょう、悲劇でしょう」と声高に叫ぶのではなく、徹底的にエンタメしてるのだ。そのエンタメ度が高ければ高いほど、ちらりと覗く悲劇性が際立つ。そんな作風だ。

『修羅維新牢』は勝海舟が江戸城無血開城を決めた直後の話だ。江戸が薩長の手に渡るとあって、旗本たちの怒りは納まらない。そのうち、薩摩の軍人が何者かによって斬殺されるという事件が相次いだ。その鮮やかな手口から下手人は旗本であろうと見当はつくものの、それが誰なのかまったくわからない。

そこで薩摩がとった方法がすごい。全く無関係な旗本を適当に十人選び、「旗本だから」という理由だけで毎日ひとりずつ斬首に処すという。それを見て心が痛むなら下手人は名乗り出ろ、さもなくば無辜の旗本が毎日死ぬことになるぞ、と。

本書はその「適当に選ばれた十人の旗本」の物語である。金を儲けて愛する女性を救いに行こうとしていた沼田新八。キリスト教に帰依して妻を寝取った男をも許そうとしていた橋戸善兵衛。仇に殺されてやるつもりでいた皮肉屋の寒河右京。彰義隊に入ろうとしていた曽我小四郎と大谷十郎左衛門。御家騒動の末に五千石の乗っ取りに成功した早瀬半之丞。頭が弱く蔭間好きの鰻谷左内。武士になりたいという思いを胸に甲州から出てきた元百姓の桑山軍次郎。そしてあとふたり…。

各章ではそれぞれの人生が、ときにはドラマティックに、ときにはコミカルに、ときには青春ものとして、またときにはミステリ仕立てで綴られる。しかし皆が皆、「ぬしァ旗本か」の問いにそうだと答えた途端、わけもわからず薩摩軍に捉えられてしまうのだ。その「断ち切られ方」がすごい。昨日まで、さっきまで、彼がが何をしていようとも、「ぬしァ旗本か」ですべてが終わってしまう。彼らはひとつの牢に入れられ、自分がどこの誰とも分からぬ官軍殺しの下手人の身代わりに処分されることを知るのである。

個々の物語はさすがの風太郎節、完全なるエンタメだ。けれどそれぞれの人生がこんなことで終わってしまう、そこに「敗者の悲哀」がある。戦で無惨に殺された大勢の人々、そのひとりひとりに人生がありドラマがあった。それは戦争といえど、他者が断ち切っていいものではない。──講談めいた語り口調で、風太郎はそう謳っているのである。


新政府軍に対する幕府の対応は、太平洋戦争終盤の日本の対応と似ているという話で、一気に読者の心を掴む導入部。それは「戦の名の下に殺された多くの人々にも、それぞれの人生があった」という本書のテーマにも通じる