川端康成の『雪国』の有名な書き出しに隠された秘密とは?

文芸・カルチャー

2018/5/16

『小説の読み書き』(佐藤正午/岩波書店)

 小説好きならば絶対に読んだことのある名作たち。川端康成の『雪国』、夏目漱石の『こゝろ』、太宰治の『人間失格』などの作品はそれだけ書評も数多く出回っている。しかしそれを現役の小説家が書くことは少ない。だからこそ『小説の読み書き』(佐藤正午/岩波書店)は貴重な1冊だ。直木賞作家であり書評家・作家たちを魅了し続ける佐藤正午さんが、「小説の書き方」をテーマにあの名作たちを鋭く分析している。「オトナの国語の授業」の雰囲気漂う本書の一部をほんの少しだけご紹介しよう。

 川端康成の『雪国』といえば、やはり有名なあの書き出しを思い浮かべる。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

 佐藤さんはこの「夜の底」という表現に着目している。これはいわゆる比喩法であり、このような表現に直すこともできる。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。地面が白くなった。

 単に「意味を理解する」ためだけなら後者の方がいい。では、なぜ川端康成はわざわざ前者の表現を使ったのか。それは分からない。ただ、「地面が白くなった」というフレーズ以外にも思いついた表現が山のようにあって、その中で一番しっくりくるものが「夜の底」だったのだ。

 これはまさに小説を「書く」ということだ。もしかしたら川端康成は一度原稿に「地面が白くなった」と書いていたのかもしれない。それが気に入らなくて、様々なフレーズを取捨選択した結果、この表現に書き直した。何度も「書き直す」ことこそが小説を「書く」ことであり、佐藤さんは「夜の底」という表現を見て、容易に書き手の気持ちをくみとっているのだ。

 この解説を読むと、なんだかまた『雪国』が読みたくなってくる。比喩を使った表現が飛び出す度に、「川端康成はどんなフレーズで迷ったのだろうか」とあれこれ想像してみたい。『雪国』で多用される「底」という表現が飛び出す度に、「川端って底という表現ホント好きだなー」とつぶやいてみたい。

 本書は、こんな調子で他に23の名作たちを紹介している。たとえば、

 夏目漱石の『こゝろ』の書き出しは若々しい。表現を変えれば「現代の小説」としても通用する。というより、この書き出しは日本の文学の基本フォームになった文章かもしれない。文章を書く人にとって先生のような存在だ。

『暗夜行路』を書いた志賀直哉は、ありえないことをやってのける一種の天才。ぱっとひらめいた文章をすらすら書き起こし、それを書き直すこともなく小説にしてしまうからだ。

 という具合だ。『こゝろ』も『暗夜行路』も読んだことがあるが、そんな読後感はなかった……。う~……読み直したい。あの名作たちを読み直したい。一気に24作も購入してしまったら今月の小遣いが吹き飛ぶだろうけど、それでもこの「解説書」を片手に「ほー」とうなりたい。

 そして小説好きの友達にこう言いたい。

「太宰治が書いた『人間失格』って、読後感ちょー気持ち悪くね? だってこの小説の中で、誰が人間失格と指を指されているのか、誰が誰に向かってその言葉を投げつけているのか、区別がつかなくて頭を抱えちゃったよ~」

 とドヤ顔したい。友達がこんな「ドヤァ」に付き合ってくれるかは別にして、それだけ「素人が名作を玄人視点で読めるようになる書評」の役割を果たしているのだ。

 また、本書の最後には佐藤さんの作品『取り扱い注意』についても、ご自身で分析されている。「『取り扱い注意』は前作である『彼女について知ることのすべて』をもとにした」「『彼女について知ることのすべて』は商業的にウケると思っていたが、結果的に失敗してしまった」などの裏話も書かれており、ファンなら垂涎モノだろう。

 名著とされる作品は世の中に数多くあるが、その名著たる「理由」まで理解して読みこんだ作品はいくつあるだろう。作品を読みこむことでもっと感動できるのに、読解力が少し足りないだけでその機会を逃していることも多い。その手助けをしてくれるのが本書だ。ぜひ名著の「再発見」を体感してほしい。

文=いのうえゆきひろ