人はなぜパニックに陥ってしまうのか? 80年前の“ラジオドラマ”事件から読み解く

社会

2018/3/22

『火星からの侵略―パニックの心理学的研究』(ハドリー・キャントリル/金剛出版)

 かつて、全米が1本のラジオドラマでパニックに陥った事件があった。宇宙人の侵略を描いた物語を多くの人間がリアルタイムのニュースだと思い込み、絶望したのである。現代では、これを「インターネットもスマホもない時代の話」と笑う人もいるだろう。しかし、情報が手に入りやすくなったこととパニック防止には本当に関連があると、誰が断言できるというのだろう。

『火星からの侵略―パニックの心理学的研究』(ハドリー・キャントリル/金剛出版)は1940年の出版以降、繰り返し新装して現代まで読み継がれてきた研究本である。1世紀近くも過去の事件に、いまだ人々の興味が注がれているのはなぜなのか。膨大な取材に基づく本書の研究内容を読むと、今も昔も変わらない「人々がパニックを起こす構造」が浮かび上がってくるからである。

 本書の研究対象は、1938年10月30日、CBSラジオで放送された「オーソン・ウェルズのマーキュリー劇場」に対する、全米のリスナーの反応である。後に『市民ケーン』などで歴史的な映画監督になるウェルズ演出のラジオドラマで、その日の題材に選ばれたのはSF小説の古典『宇宙戦争』(H.G.ウェルズ)だった。しかし、ウェルズは原作に忠実な脚色をほどこさず、偽の報道番組として『宇宙戦争』を再構築した。本書に収録されている脚本を読むと、かなりリアリティ重視の構成がなされているのが分かる。音楽番組を中断して臨時ニュースが入る冒頭、権威ある学者や軍人から寄せられるコメント(そのすべてが架空の人物だったが)、そして臨場感のある宇宙人からの攻撃シーン―。確かにリスナーを脅えさせたのは納得の内容だが、それにしても反響は異常だった。著者の調べでは、リスナーのうち12パーセントが内容を本物のニュースだと信じ、屋外に逃げ出したり親しい人間に避難勧告をしたりするなどのパニックを起こしたのだ。

 著者はパニックを起こす心理を語る際、「判断基準」を重視する。1938年当時、アメリカ国民はナチス・ドイツの台頭に脅え、第二次世界大戦突入の気配を感じとっていた。「突然の侵略」という『宇宙戦争』の設定は、決して絵空事ではなかったのだ。また、通常のラジオ番組が中断して戦争関連のニュースが入るのも当時では日常だった。大前提として、1938年の「判断基準」では『宇宙戦争』の物語や放送スタイルは、現代人が感じるよりはるかに真実味を帯びていたのである。

 しかし、放送内容を信じた人間と信じなかった人間とでは、どうして「判断基準」に差がついたのだろう。教育程度の差、信仰心、もともとの性格など著者はさまざまな面から「放送を信じた人間」の傾向を分析していく。ただし、生活環境や性格だけでは「放送を信じた原因」とは言い切れないことも分かった。たとえば、経済的に不安定な人間でラジオの内容を信じていた人間は見つかった。ただし、同じように収入の不安があっても放送を信じなかった人もいる。高学歴で放送を信じた人も、学歴がなくても放送を信じなかった人もいたのだ。

 著者が考察を重ねると、ありえない脅威を「信じる人」と「信じない人」とで分かれたのは「恐怖」だと見えてきた。自分の生活や世情に恐怖を抱いているからこそ、それが具現化したときに信じ込んでしまうのである。興味深いのは、放送を信じ込んでしまった人の心理状態だ。放送ではアメリカの都市が火の海になっていたため、近隣住民は外の景色を確認すれば真実を確かめられたはずだった。しかし、彼らは外を見ても「まだ自分たちの地域には宇宙人が到達していないだけ」と思ったという。恐怖がいかに人の心を支配してしまうかがよく分かるエピソードだ。

 北朝鮮のミサイル実験や世界各地で起こっているテロなど、現代は常に大規模な脅威と隣り合わせである。しかし、脅威の担い手たちは人々を恐怖させ、冷静な判断基準を揺さぶることを意図している。本書はパニックに飲み込まれそうになる現代人への警告を過去から届けてくれるのだ。

文=石塚就一