明かされる動物実験の不都合な真実…研究所では何が行われているのか?

社会

2018/3/23

『動物実験の闇:その裏側で起こっている不都合な真実』(マイケル・A. スラッシャー:著、井上太一:訳/合同出版)

『猿の惑星』(ピエール・ブール:著、大久保輝臣:訳/東京創元社)という作品をご存じだろうか。進化した猿たちが人間を支配して生活する、ある惑星を舞台にした物語だ。物語の中で人間は猿たちの研究動物として檻に入れられ管理されている。作られた話であるとはいえ、この衝撃的な人間の姿に恐怖を覚えた人もいるかもしれない。

 けれども、人間はこの物語の猿たちと同じことをしている。動物を研究対象として檻に入れ管理という名の下に支配しているのだ。何の罪もない数多くの動物たちが不要に足を切断され、火で焼かれ、電流を浴びせられ、ゴミのように捨てられているのである。しかし、そんな残酷な現実があることは一般には多く語られず、詳細は関係者に隠蔽され、人々の目から遠ざけられてきた。

 が、今、さまざまな動物実験に長い間、現場で携わってきた1人の研究者により、その実態が克明に暴露された。『動物実験の闇:その裏側で起こっている不都合な真実』(マイケル・A. スラッシャー:著、井上太一:訳/合同出版)では表沙汰にされていない動物実験の方法や現場の状況、研究員だった著者の嘘のない思いが明かされている。

 実験に使用される動物の種類はさまざまであるが、新薬の臨床試験前の試験では猿に比べると犬が対象動物として選ばれることが多いという。入手難度や費用といったことなども理由となっているが、気質もポイントだ。気性が荒いことが多い猿に比べると、殺意を持って近づく相手に対しても好意をもって迎える犬は実験で扱いやすいからである。

 被験犬には苦しみばかりで楽しみはない。実験中には足をぶら下げた状態で網に宙吊りにされ、実験時間外でも散歩に連れていかれることはない。実験の合間に運動の時間を設けてもいいとされてはいたものの、遊ぶ犬たちの姿を見たことはないし、そもそも犬が遊べるような空間すらなかったと著者は明かしている。

 運動する機会も与えられず、薬の副作用により食欲がなくなっていった犬たちは四肢が棒きれのように細くなり、あばら骨や背骨が透けて見てとれるほどにやせ細っていく。しかし、地獄の苦しみの中でも人への愛情を欠くことはない。実験を行う加害者ともいえる著者の姿を確認すると、よろめきながらケージの前まで近寄ろうとして顔から前のめりに倒れる。そして、横たわりながらも著者を見つめ、尾を振るのだという。著者はこのときの状況をこう語る。「私は故意に痛ましいやり方でかれをなぶり殺しにしたにもかかわらず、かれは心からの喜びをもって私を見つめていた」。

「私は悪魔だ」という1文から語り始める著者は本書を出すにあたり大きな葛藤があったという。動物実験を必要悪と考える人や研究の関係者から無責任な内部告発者として疎まれるかもしれないというリスクがあるからだ。さらに、著者自身も数多くの動物たちの命を奪ったという過去の罪から、多くの動物愛好家や個人的な大勢の友人たちから追放されるかもしれないという恐怖も感じたという。そして、実際にネットに本書の企画を公開した後には殺人予告にも近いバッシングも受けている。

 それでも、過去と向き合い、罪を世に公開し、社会から罵られる覚悟をもって本書を著したのは「実験という名の下に行なわれる罪なき命の浪費」を人々は知るべきだと感じたからだ。そして、これから生まれてくる動物たちの境遇がより良いものになるようにという心からの祈りがあったからなのである。

 医療の進歩において新薬の研究は欠かすことができない過程だ。それにより助けられている数多くの命もある。しかし、薬のみならず化粧品や革製品など日常のさまざまな商品があらたに誕生する陰には動物たちが度重なる拷問と殺害を受けている可能性があるのだ。そして、動物実験では統計的に有意な結果を得るために多数の動物を使わなければならず、不必要に多くの動物たちの命が奪われているケースも少なくない。時に、商品化につながらない無用な実験がなされることもあるという。

 人が生きる上でやむを得ないと考える賛成派と、人間のエゴでしかないという反対派の間で、常に賛否両論が飛び交う動物実験の問題。この難問に対していち人間として自分なりの答えを探すためには都合が悪い真実に目を背けずに事実を知ることを避けてはいけない。現場にいた著者だからこそ知り得る真実を明かした本書は、まさに不都合な真実を知るための第一歩となることだろう。

文=Chika Samon