礼儀作法を守れない人が堕ちる地獄って? 大地獄と小地獄の違いは…

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公開日:2018/3/31

『地獄の経典』(山本健治/サンガ)

 宗教では、悪行を戒めるために地獄という世界がしばしば生み出される。仏教もそうだ。『地獄の経典』(山本健治/サンガ)では、仏教で考えられる地獄――八大地獄とそれに付随する16の小地獄について詳細に解説されている。ちなみに、この八大地獄等の出典は西暦500年頃に成立した正法念処経という書物だ。

 八大地獄は、八つの階層に分かれており、下層であるほど重い罪を背負った人が行くことになる。その八つの地獄の名は、上から等活・黒縄(こくじょう)・衆合(しゅごう)・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間(むげん)だ。なお、最後の無間地獄には阿鼻地獄という別名も存在する。また、これらの地獄は階層によって担当する罪の種類が大体決まっている。とてもざっくり言うと、それは以下のような形だ。

等活=殺し(人殺しも動物殺しも含む)
黒縄=盗み
衆合=性犯罪
叫喚=酒乱
大叫喚=嘘(詐欺含む)
焦熱=邪見(正道から目を逸らし邪な考えに溺れること)
大焦熱=仏弟子の修行を妨げる(正確には、尼僧など戒律を守っている女性への性犯罪)
無間=親殺し・僧侶殺し・寺院への破壊、放火

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 なお、下層の地獄は上層の地獄の罪を含む。つまり、例えば物を盗んだだけなら黒縄地獄の小地獄(後述)に堕ちるだけだが、強盗殺人(殺し・盗み)だと大地獄である黒縄地獄の方に堕ちてしまう。ちなみに、この黒縄地獄に堕ちた場合、これまたざっくり言うと鉄のトゲがついた黒縄で縛りあげられ、墨縄で線を引かれ、その線に沿って体を切り刻まれることになる。さて、たとえ話として強盗殺人を挙げたが、こういった「明らかな犯罪者」が地獄に堕とされることは正直多くの人が頷くだろう。中には因果応報・自業自得だと言う人も居るかもしれない。確かに強盗殺人のような現代でも明らかな犯罪の場合はそういった意見も出てくるだろう。そして、多くの人は思う筈だ。「自分は犯罪など何もしていないから大丈夫」と。しかし、油断は禁物である。なぜなら地獄は仏教の戒律に則って作られており、また仏教の戒律と現代の法律は必ずしもイコールではないのだ。例えば、焦熱地獄には龍旋処(りゅうせんしょ)という小地獄がある。この小地獄は、だらしない不作法者が堕ちる地獄だ。この不作法者とは以下のような人のことである。

礼儀作法が持つ意味と意義を理解しようとせず、きちんとやればできるのにいつも振る舞いや服装がだらしなく、正座ができず、人の話をほおづえをついてしか聞けず、食事の際も手を舐めて貪り、きちんと食べないで散らかし、もったいなくも残す者

 どうだろう。全部ではないにしても、1つ2つは心当たりがある人も居るのではないだろうか。ちなみに、この龍旋処には、頭から炎を噴き、鋭い歯と毒を持った山のように大きい恐竜のような龍が無数に居る。この小地獄に堕ちると、これらの龍にかみ砕かれたり、猛毒で苦しめられたり、焼かれたり、また龍が起こす竜巻によって体を粉々にされたりしてしまう。これを聞くと「礼儀作法、大事にします」という気分になるのではないだろうか。もしもそういう気分になったのなら、その気持ちは是非大事にしてほしい。

 さて、先程から登場している小地獄だが、これは大地獄に16ずつ付随している小さな地獄で、大地獄に堕とす程ではないが、やはり罪を犯した人が堕とされるところだ。小さな地獄というが、その刑罰は龍旋処の例を見てもわかる通り決して軽いものではない。しかし、これでも大地獄に比べればかなりマシな方だというから恐ろしい話だ。大地獄と小地獄の違いは、端的に罪が重なったり重かったりする場合は大地獄に、罪がひとつだけだったり比較的軽いものだったりした場合は小地獄に行くと考えれば良いだろう。

 こういった恐ろしい世界の話を知ると、是が非でもここには行きたくない、真面目に生きようという気になってしまう。地獄という世界の存在意義は、悪人を罰すること以上に悪人になろうとする人間を踏みとどまらせることにこそあるのかもしれない。

文=柚兎