三角関係の奇妙な妊活。芥川賞候補作『愛が挟み撃ち』

文芸・カルチャー

2018/4/8

『愛が挟み撃ち』(前田司郎/文藝春秋)

 不妊の悩みを抱える夫婦はかなり多い。近年では“妊活”という言葉もよく耳にし、また不妊や妊活は多くの物語の題材にもなっている。しかし、芥川賞候補作にもなった『愛が挟み撃ち』(前田司郎/文藝春秋)は、その内容が完全に一線を画している。

 劇作家・小説家の前田司郎氏が手掛けた本書は、まさに奇妙な演劇のよう。それに加えて小説としてのタッチも美しい。実に複雑怪奇な恋愛感情のベクトルが織りなす、異質だが確かにうなずける感情の交錯が本作では絶妙に描かれている。

 本書の主人公は無精子症と診断された39歳の俊介と、36歳の妻京子。子を諦めることに対して意外と抵抗のない京子とは対照に、俊介は焦り、失望し、どうしても子を諦めきれない。精子バンクなどを検討したが、どの策もしっくりこず。そんな中、俊介が導き出した奇想天外な答えは次のとおりだ。

「自分の大学時代の親友であり、京子の元彼でもある水口に、子をつくってもらう」

 一見すると突拍子もないものに思えるが、見ず知らずの人の遺伝子よりは良いだろうと納得した京子。そして2人は水口に依頼し、京子は水口と肌を合わせることになる。

 物語の描写は現在と過去とを行き来する。現在進行形の舞台は妻の京子の主観、過去の場面は俊介の主観が多いという印象だった。その心理描写の炙り出しは、実に繊細で、そしてエッジが効いている。冷たい擦りガラスのような、さらさらと、微かに痺れる手触りを感じる文体だ。

 愛と嫉妬の根底にあるもの、命を繋ぐ意義、正解がわからない人間的なやわらかい部分を鮮明かつドライに抉るストーリーに身を委ねているうちに、確かに存在すると思い込んでいた自分の足元が抜け落ちていくような感覚に囚われる。

“普通”という概念を見失う。というのは、ある種の文学の醍醐味なのかも知れない。そうやって境目を失った“普通”と“異質”が緩やかに交差するような、そんな愉しさが本作にはあると感じた。

文=K(稲)