ひとりカラオケ、カプセルホテル……都市にひとり空間があふれているワケ

暮らし

公開日:2018/4/13

『ひとり空間の都市論』(南後由和/筑摩書房)

 一日のうち、あなたが“ひとり”でいる時間はどのくらいあるだろうか。会社と家を往復している人は、通勤の時間帯がわずかな“ひとり”の時間かもしれない。一方でひとり暮らしでも、SNSの通知や投稿がひっきりなしで、なかなか“ひとり”を実感できない人もいるだろう。

 いま都市部を中心に、ひとりカラオケやひとり焼肉店など、ひとり専用の商業施設が注目を集めている。現代社会を生きるわたしたちにとって“ひとり”とはなにか、“ひとり空間”とはいかなる意味をもつのか。都市部のひとり空間に注目しながら、この問題関心 にこたえるのが本書『ひとり空間の都市論』(南後由和/筑摩書房)だ。

■『孤独のグルメ』にみる都市での“ひとり”

 序章では、長年にわたって人気を誇る漫画『孤独のグルメ』が取り上げられる。仕事や出張の合間にひとりで大衆飲食店を訪れる、主人公の井之頭五郎。彼は単身者であり、食事は基本的に外食ですませる。漫画内では、会社から店へ、店から街へ、つねに都市内を移動する。店ではとくに馴染みにならず、匿名の存在としてふるまう。このような特徴は、都市における“ひとり”の典型なのだという。

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 都市には、五郎が利用するような単身者向け住宅、単身者のニーズに応じた飲食店や娯楽施設などの空間が集まっている。また単身者だけでなく、主婦がひとりになるため漫画喫茶へこもる、子どもがバンド練習をするためにカラオケに入るなど、都市にはさまざまな“ひとり”がいて、それらに対応したさまざまな“ひとり空間”が偏在しているのだ。

■都市にあふれるひとり空間

 序章の親しみやすい例にみちびかれ、読者は都市のひとり空間に目を向ける。とはいえ、“ひとり”とはあまりに幅広いことばだ。そこで著者は本書での“ひとり”を“状態としてのひとり”、すなわち“一定の時間、集団・組織から離れて「ひとり」であること”と定義する。

 本書では“状態としてのひとり”が身をおくひとり空間について、住宅、飲食店、宿泊施設、さらにはモバイル・メディアを介した空間という切り口から論じられる。ここでは、近年話題となっているひとり向け飲食店に注目してみよう。

 なぜ都市には、ひとり向け飲食店が集まっているのだろうか。理由のひとつは、都市生活が飲食店やコンビニ、コインランドリーなど住宅外部のサービスに依存していることにある。また都市では単身者にかぎらず、さまざまな人に移動時間という“ひとり”時間が生まれる。そのような“ひとり”が食事をとる場として、ひとり向け飲食店へのニーズがあるのだ。

 それだけでなく、日本社会論や日本文化論をまじえながら、日本固有の文脈との関連も論じられる。たとえば神島二郎はかつて、日本の“単身者主義”を指摘した。明治以降、農村から都市へ流入したのは主に男性単身者だった。単身者の寄りあいによって企業や都市が形成され、彼ら向けの飲食店や風俗店が集積していったことが、現在のひとり空間の集積につながった可能性があるという。

 また建物レベルでも日本的な特徴がある。たとえばインターネットカフェや漫画喫茶では、狭くて均質的な空間がならび、それぞれの空間はカーテンや仕切りなどでゆるやかに分けられている。ここには、畳やふすまの文化、さらには“ウチとソト”の感覚を垣間見ることができるという。

 都市のひとり空間は、けっして突如現れたものではなく、日本文化や都市の特性を下敷きにして生まれたことがわかる。

■“ひとり”であること

 これまで都市の“ひとり”をめぐって、ある種の病理として否定的にみなす言説と、自由として肯定的にとらえる言説とがあったという。そして現代では、「みんな」が善とされる傾向があると指摘される。しかし本書からわかるのは、都市での“ひとり”は自然な状態だということだ。最後に本書をつらぬく主張を引用しよう。

「都市は、つねにすでに『ひとり都市』としてある。であるならば、肯定と否定、閉じると開く、切断と接続のどちらか二者択一ではなく、それらのあいだに、どのような『ひとり空間』のかたちがありうるかを模索しつづけなければならない。都市の『ひとり』と『みんな』のどちらかだけのためではなく」(p.243)

 ここで紹介したのは、ほんの一部である。ぜひ本書を手に取り、さまざまな角度から都市の“ひとり空間”を考えてみてほしい。

文=市村しるこ