いとうせいこうが「こんなおかしな小説はありはしません。信じて下さい」 と紹介。『小説禁止令に賛同する』とは?

文芸・カルチャー

公開日:2018/4/21

『小説禁止令に賛同する』(いとうせいこう/集英社)

『小説禁止令に賛同する』

 まずは、この奇妙なタイトルの「物語」の舞台設定から紹介したい。

 時は近未来、語り手は、東端列島と呼ばれる国の■■地区第三集合棟独房に収監されている40代前半の男(囚人番号八十六号)。かつて東端列島に存在した大手出版社から「随筆家」として賞を得たこともある作家である。

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「物語」は独房にいる男の一人語りで進む。男の独白によれば、現在の東端列島では「小説」なるものは禁止されている。亜細亜連合の新■■局によって「小説禁止令」が発布されており、男はそれに「誰よりも早く快哉を叫んだ文学関係者」だという。

 ちなみに、これまでの文中に登場している■■を見ればわかる通り、本書には伏字の箇所がある。それは、男の一人語りが、小冊子『やすらか』に書かれた随筆だという設定のためだ。男=囚人番号八十六号が書いた随筆は当局によって検閲されており、随筆の終わりには、その内容の危険度が表記されている。「情報漏洩傾向 接触注意 中度処置 強度処罰」のように。

 まず、これらのトリッキーなパッケージに、今まで、いとうせいこうの小説を読んできた者としては、思い切りワクワクしてしまう。作者も翻訳者も架空の設定の『存在しない小説』やゴーゴリと後藤明生の作品を本歌取りしたメタフィクション『鼻に挟み撃ち』など、小説とは何かを問い続けてきた作者の最新の表現形態が『小説禁止令に賛同する』(集英社)なのだ。

 そして、『ノーライフキング』や『想像ラジオ』のように、時代のアクチュアルな問題を前景に出しつつ、自分の問題意識を誠実に問い続けるスタンスは相変わらず健在だ。要するにこちらとしては、また面白いことをやろうとしているな、という新しい実験への期待もありつつ、以前からの問題意識がどう深化したかを知る楽しみ、そしてもちろん、純然たる「作り込み」の上手さも堪能できるであろう……という三つ巴の興奮をもってページをめくるわけである。

 どうやら敗戦国であるらしい東端列島で、小説禁止令に賛同した元随筆家は、ひたすら小説の危険性を訴え、ディスる。

「いったい誰がまだあんなものを書きたいというのでしょうか。まったくもってけしからぬ話であります」「小説などという、あまりに不誠実な文の塊」と。

 しかしなぜ、「小説禁止令」が発布されたのか。それは、仮想現実と電脳空間の発達の果て、電脳利用者が徐々に印刷された出版物に信頼を移すという現象が同時多発的に起こり、世界中で文学の復権が起こったためだ。

 囚人番号八十六号はその現象をこう描写する。

「そして文学が力を持ってしまったのです。あの老人のように衰えた分野が。すっかり終わったはずの時代遅れの物語群が」

 そして「熱い書物」への注目を恐れた当局は、小説家を粛清し、禁止令を発布する……。翼賛作家である語り手の「わたし」は、国家の判断の正しさを讃え、小説の危なさ、くだらなさ、いかがわしさを訴える。例を挙げ、文章を引用し、文芸批評まで行って、そのいかがわしさを分析しようとする。振り込め詐欺を例に出して、「これは小説ではありませんか?」と書物に注意書きを貼るべきだと主張して。

 が、男がそうすればそうするほど、小説の魅力を逆説的に訴えることになっていくのである。あたかも、どれだけウニや霜降り肉が体に悪いか語りながら、それらに涎する美食家のように。

 そう、『小説禁止令に賛同する』は、小説の力と紙の印刷物の力の復権を逆説的に訴えようとするトリッキーな「物語」である。などとストレートかつ優等生的に読んでしまうと、「決して同じ手法で小説は描かないとかつて豪語した」と本書で「わたし」に語らせている作者に、「これはそんな単純なプロパガンダではない」と一笑されそうだが、生真面目に小説の復権を訴えている本書こそ、「熱い書物」だと手に汗握ったことを正直に告白したい。

「わたしは書くのです。書いてきた。ずっと書いてきました」と、本書のある重要な部分で「わたし」は「書く」。この言葉は、16年間、フィクションを書けなかった時期を経て、今、こういう「熱い書物」を「書いた」いとうせいこうの言葉だと思うと、感慨深い。いや、熱いよ。熱い。

文=ガンガーラ田津美