爆発的ヒットか大炎上か? 「初音ミク」に見出す、新しい時代のファンのカタチ

社会

2018/4/20

『ファンダム・レボリューション』(ゾーイ・フラード=ブラナー、アーロン・M・グレイザー:著、関美和:訳/早川書房)

 生きていれば何かしら「大好きなもの」に出会う。その何かに対する愛情や情熱が一定以上高じたとき、私たちは「ファン」になる。私も中学生の頃はポルノグラフィティの大ファンで、楽曲を聴くことやライブに行くことを友達に強要して迷惑がられた黒歴史を持っている。

 一方で、ファンは粗暴な一面も持ち合わせている。アイドルファンがこじらせてストーキングを始めたり、何かに不満を持ったりしたときは応援から一転してヘイトの姿勢を見せる。マーケティング担当者よりも熱心な布教活動を見せたと思えば、本末転倒な行動に走ることもあるのだ。ファンとは実に複雑な存在だ。

 そんな「ファン」をより深く考察したのが『ファンダム・レボリューション』(ゾーイ・フラード=ブラナー、アーロン・M・グレイザー:著、関美和:訳/早川書房)だ。

■少しずつ変わり始めた「ファン」のカタチ

 そもそもファンは昔から存在していた。伊勢神宮や熊野神社に巡礼する日本人(=この記事では割愛するが、宗教とファンは紙一重の存在だ)、聖書のスピンオフのようなストーリーを描いた中世の変わり者マージェリー・ケンプ、アメリカを震撼させた熱心すぎる「音楽狂」など、文化とファンはいつの時代もセットだ。しかし「かつてのファン」と「現代のファン」には違いがある。距離だ。

 ネットが普及した現在、もはや手に入れられないものはない。音楽もマンガもそのほか大体はワンクリックで完結する。ファンになる対象物を簡単に見つけ、簡単に手に入れられるようになったのだ。

 また、ファン同士の交流も容易になった。ファンが集う「オフ会」やSNSのコミュニティはいつでもすぐさま参加できる。さらに「好きを共有し合うこと」にも価値を見出している。特に、アーティストのライブの「ファンの一体感」はなんとも形容しがたい熱を感じる。ネットとSNSがファンの行動を変えたのだ。著者はこの一連の行動をファンダム(人々が愛する様々な文化の周囲に出来上がる構造や習慣)と位置づけ、彼らのこれからを考察している。

■初音ミクに見出すファンの「特異点」

 このように「ファン」のカタチが少しずつ変わりつつある現在。その典型例の1つに「初音ミク」がある。彼女については本書かネット検索で補ってもらうとして、とにかく画期的だったのは「商業以外の目的での利用は自由にしていい」と、彼女を生んだ企業がファンに権利の一部を譲渡したことだ。この結果、ファンが彼女に関するコンテンツを爆発的に生みだし、一大産業になった。今までは「対象物を生みだす作り手」と「それを愛する買い手」が重なり合うことはなかった。しかし初音ミクの場合は、ファンが初音ミクのコンテンツを生みだし、そしてお金を落とす。著者はここに「特異点」、つまりファンの新しい時代の可能性を見出している。

■ファンって、めんどくさい

 お金を落とすといえば、企業のマーケティング活動だ。彼らの消費行動をもっと促すべく、様々な方法を使ってファンを利用しようとする。しかし冒頭で述べたように、ファンとは複雑な存在だ。ある企業(本書では実名を公表)が「Twitterでその企業に関するストーリーをつぶやいて」というキャンペーンを始めた。ファンを使ってイメージアップを図ろうとしたのだ。その結果、思いとは裏腹にその企業の悪いエピソードばかりが飛び出し、キャンペーンはわずか2時間で終了した。まさに黒歴史だ。

 たとえどれだけその対象物を愛していたとしても、ファンはそれと同じくらい自分のことも考えている。この心理は、恋多き女性がカレに「なんで分かってくれないの!」と怒り狂っているときくらい難解だ。したがって下心満載の企業は皮肉にもファンに足をすくわれる。企業の営業活動に関わる人は本書を読んでほしい。

 このように本書は、ファンの生態を生き物の図鑑のごとく解き明かし、ファンとパトロンのなんとも言えない関係やビジネスにファンを取り込む方法、ファンの暴走と炎上の仕組みなど、ありとあらゆる面から彼らにメスを入れ、鋭く分析している。中学生だった私の心理が丸裸にされたようで赤面するばかりだったが、読んでいて楽しかった。特にビジネス関係者は購入をおすすめする。そして読んだ後にこうつぶやくだろう。

「ファンって、めんどくさい」
「安易にファンを取り込もうとするのはやめよう」

文=いのうえゆきひろ