「中庸」な生き方に変えてみては? 漢方医が語る日本の行く末

ライフスタイル

2018/4/26

『売れるキャラクター戦略 “即死”“ゾンビ化”させない』(いとうとしこ/光文社)

「風邪には葛根湯」という言葉があるくらいには漢方薬も世間に浸透しているが、同じ風邪でも体を温める葛根湯では咳が出ているときや、発熱時に使うと症状を悪化させてしまうことがある。特に漢方では患者の体質について、体力が充実している「実証」、体質虚弱な「虚証」、体力中等度の「中庸」という考え方があり、漢方薬を使いこなすのには知識と経験を要する。若い頃から花粉症に悩まされてきた私にしても、鼻水とクシャミと目の痒みに抜群に効いていた小青竜湯が、歳とともに合わなくなったのは体質が変わってきたからだろう。

 などと知ったかぶりを披露しているけれど、実のところ漢方医である丁宗鐵先生の著書の受け売りである。その丁先生が70歳になり、10年以上患者として親交のあるイラストレーターの南伸坊氏との対談ならぬ雑談をまとめた『漢方的生き方のすすめ』(丁 宗鐵、南 伸坊/毎日新聞出版)が出版されると知って、本屋に走るより先にネットで予約した。

 丁先生は、難しい漢方の理論を一般の人に分かりやすく解説するために現代医学の知識も織り込んで、「漢方仲間からは嫌われたりする」変わった人だなぁと思っていたら、本書を読んで謎が解けた。南氏は丁先生による診察を「雑談療法」と呼び、先生の生い立ちについて「講談か浪曲か、植木等のスーダラ映画かっていうくらいに痛快です」と語っている。

 丁先生の出自は、なかなかに複雑だ。お爺さんは日韓併合時に12歳で家を飛び出して東京に来たそうで、お婆さんは丁先生が日本に帰化するさいに戸籍を取り寄せようとしたところ戸籍が見つからず、戦後のドサクサで失われたのだろうとのこと。そして子供時代には、なんと小学校の校庭に住んでいた。正確には、「不法占拠して」住んでいたところに小学校が校庭を拡張することになったのだとか。

 小学生時代の「あの子と遊んじゃいけないよ」と友達の親から言われた話などは、やはり読んでいて切なくなる。ところが、その差別が不思議な巡り合わせにもなっていた。丁先生は歴史の先生になることを望んだものの、当時は日本人でなければ学校の先生になれないと考えた母親から「医者になれ」と言われて医学部への道を歩むことに決めた。そして医学部で医学と歴史が結びついている漢方と出会いつつも、国立がんセンターのとある先生に請われて研究者になったかと思うと、上司に当たる別の先生からは「ここは日本で最高のがん研究所だ。誰もが来たがってる場所だから、競争がはげしい」などと、暗に出ていくよう促されてしまう。でもそのおかげで、いろんな人に相談したところ「国籍とかそういうの、言わない」からと、日本で最初の漢方の総合的研究所になる北里研究所を勧められて移ることとなった。ただし、すでに着実な研究成果を挙げていた丁先生はアメリカ国立衛生研究所から研究費を出してもらっており、予算が少なかった北里研究所に移るのには「自分の研究費から自分の給料を出す」というのが条件だったそうだ。

 本書によれば漢方は、中国の前漢時代に成立したと考えられるが、さらに遡るとインドが発祥ともされており、日本には朝鮮を経て伝わった。ところが、今やインドに名残は無く、中医学なるものも中国共産党が近代になってつくったもので、党の要人は「最後は西洋医学に頼る」のが主流であり、韓国では「韓方」と名前を変えて西洋医学とは完全に分かれているという。そこからすると日本に辿り着いた漢方は歴史を重ねたうえで西洋医学と共存し、差別を受けてきたはずの丁先生からして「日本人の寛容性というのは、世界に誇れるレベル」とさえ云う。それをアメリカンドリームと対比して「ジャパニーズドリーム」と丁先生が呼んで、南氏が「あー、ゆるいとこがいい。テンション低いのがいい」と応えている様子に、歳をとって体が衰えるのも「中庸」に生きると思えば悪くないような気がしてきた。

文=清水銀嶺