ネカフェ暮らし、介護問題、家庭崩壊―日本の闇を新鋭作家が切り取る!

社会

公開日:2018/5/4

『新宿ナイチンゲール』(小原周子/講談社)

 フローレンス・ナイチンゲールといえば、クリミア戦争で、兵士たちから「天使」と呼ばれた看護師である。しかし、ナイチンゲールのような偉人でなくても、看護や介護の世界に生きる人々は天使と呼ばれるに相応しいだけの毎日を送っているのではないだろうか。身内でさえ嫌がるような仕事を進んでこなし、患者や家族からの罵倒にもぐっと耐え忍ぶ。ただナイチンゲールと違うのは、看護師の大半が彼女のように賞賛されることはないという点だ。

 小説『新宿ナイチンゲール』(小原周子/講談社)にも「白衣の天使」が登場する。しかし、彼女はネットカフェ暮らしで彼氏がダメ男、純粋に金のために働く人間だ。彼女の内面は「天使」と程遠い。だからこそ、我々は気づかされる。天使でも何でもないただの人間が、他人のために心と体を捧げる看護の現場の過酷さに。

 ヒロインのひまりは、28歳にして家を飛び出し、同じネットカフェに泊まり続けている。いわゆる「ネカフェ難民」だ。とはいえ、ひまりには定職がある。派遣ナースとして、患者の自宅に寝泊まりしながら看病するのだ。まともな食事や風呂にありつけるうえ、ベッドで足を伸ばして寝られる派遣仕事は、ひまりにとって悪い条件ではない。しかも、言語障害のある患者を看るときは、彼氏を勝手に招きもする。患者が寝ているひとつ屋根の下で、彼氏と変態セックスに明け暮れるひまりははっきり言って図々しい女だ。

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 だが、看護師としてのひまりはまずまず優秀である。体を拭いたり、排泄物の世話をしたりする手際がいいし、患者とのコミュニケーションも怠らない。このあたりは、著者の看護師経験が活かされていてリアルな描写が読める。だが、ひまりに対して患者や家族の要求はどんどんエスカレートしていく。一体どこまでがひまりの仕事で、どこまでが善意のサービスになるのか? 線引きは非常に難しい。

 たとえば、半身不随でトイレすら自力では行えない男性患者は、ひまりを「女」と呼び、性的な関係を迫る。彼も本気でひまりとセックスができると思っているわけではないだろう。しかし、自分が要介護の身になるきっかけを与えた、元恋人への憎悪をひまりにぶつけているのだ。

 役所から頼まれて、寝たきりの父親を世話している高校生の家にもひまりは派遣される。しかし、そこにいたのは体が不自由な父親をほとんど放置し、同居しているガールフレンドと口論ばかりして暮らしている少年だった。ひまりは無理にでも少年に介護を指導しようとするが、彼の心には何も響かない。

 ひまりが派遣されるさまざまな家庭を通して、浮き彫りになっていくのは「壊れた家族」のあり方だ。どうして患者たちはひまりに感謝を抱かず、家族はひまりに不当な要求を押しつけてくるのか。その背景には「家族が家族の介護をするのは当然」という思い込みがある。それゆえ、スキルも経済的余裕もない、もっといえば愛情すらない家庭でも、家族の面倒を見続ける選択に固執する。ひまりがぶつけられるのは、介護が生んだ家族間の闇なのだ。

 やがて、ひまりの彼氏が借金を残して失踪する。突然、数百万円の借金を押しつけられたひまりはなす術がない。ボロボロになったひまりもまた、実家を頼る。そして、家族の意味を否応なく考えさせられる。

 病院や介護の現場は「完璧にできて当たり前」「1個の些細なミスが大問題」の世界である。だからこそ、看護師たちは厳しい視線にさらされながら懸命に働くしかない。しかし、社会の末端に位置する人間が苦しいのは、彼女たちのせいではなく、世の中の仕組みが異常なのではないか。本作は社会や家庭で「当たり前」とされている価値観に疑問を投げかけている。解放とも崩壊とも読めるクライマックスは、深く読者の心に刻まれるだろう。

文=石塚就一