社会から疎外されたろう者たちの知られざる悲しみと苦悩を描く異色ミステリー 『龍の耳を君に デフ・ヴォイス新章』

文芸・カルチャー

公開日:2018/5/4

『龍の耳を君に デフ・ヴォイス新章』(丸山正樹/東京創元社)

“コーダ”という言葉を知っている人はどのくらいいるだろう。これは“Children of Deaf Adults”の頭文字を取ったもので、両親がともに“ろう者”であり、自身は“聴者”である子どものことを指す言葉だ。コーダとして育った子どもたちは幼い頃から家族の通訳をすることが日常になっており、必然的に家族と世間とのさまざまな交渉といった役割まで担わされる。

 また、家族と一緒に過ごす団欒の時間であっても、“自分だけが聴こえる”という疎外感からある種の孤独を抱えながら生きていくことも多いという。丸山正樹のデビュー作『デフ・ヴォイス』(文藝春秋)は、そんなコーダとして育った手話通訳士の荒井尚人を主人公にした異色のミステリー。ろう者社会の過酷で切実な実情を赤裸々かつドラマチックに描き、文庫版が「読書メーター」で絶賛の声を集めたことで話題となった。その続編となるのが、本作『龍の耳を君に デフ・ヴォイス新章』(東京創元社)だ。

 物語の舞台となるのは前作から2年後。荒井は恋人の警察官・安斉みゆきと彼女の娘で小学2年生の美和と暮らしている。美和はすっかり荒井に懐いていて、「弟か妹がほしい」というのだが、荒井は子どもを作ることにどうしても積極的になれなかった。それは、両親と兄がろう者だったため、もし自分の子に聴覚障害が遺伝してしまったら、そんな不安を拭い去ることができないからだった。たとえ聴こえない子どもが生まれてきても構わないというみゆきとの間に微かなすれ違いの空気を感じつつ、荒井は手話通訳士としてろう者のサポートをする日々を送っている。

advertisement

 本作は表題作を含めた全3話の物語を収録。第1話「弁護側の証人」では、荒井は居直り強盗で逮捕された40代の男性ろう者、林部が被告人となっている裁判で司法通訳を務める。林部は空き巣中に帰宅した家の主に「騒ぐな、金を出せ」とナイフを突きつけて金を奪ったとされているが、荒井はろう者である林部が“発語”したことに引っかかりを感じる。ろう者でも発語できる人間はいる。焦点になるのは林部が使う“言語”の有り様だった。

 第2話「風の記憶」で描かれるのは、警察の取り調べ通訳。恐喝と詐欺の疑いで逮捕されたろう者の新開は、自分と同じろう者たちを相手に犯行を行っていたという。また、新開は聴覚障害を詐称しているのではないかという疑いも持たれている。「聴覚障害者が聴覚障害者を脅迫」するという異例の事件の背景にあるものは。

 第3話が表題作「龍の耳を君に」だ。みゆきの同級生に特定の状況で声がまったく出せなくなってしまう“緘黙症”の少年・英知がいた。みゆきは手話なら英知が話すことができるかもしれないと、荒井に「えいちくんに手話をおしえて」と頼む。積極的に手話を覚え始めた英知は、家の近所で起きた殺人事件について手話で話し始める。緘黙症の少年の言葉は、証言として認められるのか!? この3つの事件を通して荒井の意識も少しずつ変化していく。 小説を読む醍醐味が物語の面白さにあることは間違いないが、フィクションを通じて知らなかった世界を知り、新たな視点を獲得できることにも大きな意味があるだろう。前作を含めた「デフ・ヴォイス」シリーズでは、ひとくくりに“聴覚障害者”として扱われがちなろう者の世界にも、実に多様な世界が広がっていることを教えてくれる。手話は音声の代替手段ではなく、ひとつの言語であること。“日本語”ではなく“日本手話”を母語とするろう者のアイデンティティ。“日本手話”と“日本語対応手話”の違い。“聴覚口話法”教育が生んだ悲劇、ある時期まで聴こえていた“中途失聴者”ならではの悲哀――。多くの偏見や差別は無知に由来するが、そんなろう者のことを何も知らない聴者によって、より辛く苦しい思いを強いられているろう者たちの現実がここには描かれている。ミステリーを楽しみながら、読者はろう者の世界と文化を知ることになるのだ。

 また、本作では母子家庭、発達障害といった“正しい家庭、正しい子育て”という幻想によって隅に追いやられていく存在にも光をあてていく。著者の視線は常に社会から疎外されている者たちに向かい、そこに存在する問題を真摯に描きつつ、その苦悩と悲しみに常に寄り添おうとする。その温かさと優しさが沁みる。

文=橋富政彦