お尻の穴から見える社会とは? 究極のジェンダーフリー文化論

社会

2018/5/10

『アナル・アナリシス――お尻の穴から読む』(ジョナサン・A・アラン:著、北 綾子:訳/太田出版)

 ミステリー漫画を描いている漫画家さんに、自分が物語のお尻の方から読むことを告白したら、たいそう嫌がられた。まぁ、それは致し方ないところであろう。しかし私は、ラストが気になると気が散って読んでいるページに集中できず、ラストを先に知ることによって、何をどうすればラストに繋がるのかと考えるのがワクワクして愉しいんである。そんな私にとって、『アナル・アナリシス――お尻の穴から読む』(ジョナサン・A・アラン:著、北 綾子:訳/太田出版)に惹かれるのは、至極当然のことかもしれない。

 本書は主に、男性同士の恋愛を描いた文学作品や映画に絵画などを取りあげ、男性も女性も共通して持っているお尻の穴を中心に、新たな視点からジェンダーフリーについて研究した文化論だ。

 同性愛者の権利擁護活動家として知られるコラムニストのもとに寄せられた悩み相談の手紙には、ガールフレンドからお尻の穴を責められているうちに快感に目覚めた男性が「これってゲイへの第一歩なのかな?」とあり、コラムニストは「それがどんな行為であれ、異性愛だ」ときっぱり答えているという。この相談主について文化批評家の著者は心理学者の言葉を借り、急いで答えを出そうとする「性急すぎる認識論者」と指摘していた。そう、男性同士のゲイはお尻の穴を使うというのが、まず思い込みなのだ。

 そして本書では、全八章のうち一章を費やし「ヴァージニティ」(処女性)に関して論考している。女性ならば純潔、とくに処女膜というものがあるが、医学的には処女を定義することはできない。それでも異性愛を規範とする文化ではヴァージニティの喪失という概念が存在し、「ゲイはどうやってヴァージニティを失うのか?」といった疑問が生じる。男性同士の場合は「挿入する側か、される側か、もしくは両者か?」と考えられ、「レズビアンがヴァージニティを失うにはペニスバンドを使わなければならないのか?」など、簡単に答えられるものではない。そのため著者は、「性的指向を限定的に論じるのは問題がある」と述べている。

 男性同士の恋愛を描いたロマンス小説については、訳者が日本での一般的な呼び方に倣い「BL(ボーイズ・ラブ)小説」と置換していて、著者は「男性のヴァージニティの喪失と性的指向というきわめて繊細で複雑なテーマが極端に誇張されて描かれることが多い」と評している。ただし、ほとんどの作品が「異性愛者の女性によって女性読者向けに書かれている」ことと、「ゲイとして生きたこともない人物が、彼らの声や経験をまるで我が物のように扱っている」ことに批判の声があるようで、それらに対して著者は、支配的な男性が受け身役になるものや、ゲイではない男性が特定の相手にだけゲイとしての関係を持つというように、「多種多様なジェンダーの現れかたが描かれている」と擁護する。

 本書を読んでいて、バラエティー番組で芸人が「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターを演じたところ「ゲイに対する差別だ」と抗議があり、テレビ局が謝罪したのを思い出した。当事者はもちろん不快に感じた人が抗議の声を上げるのは当然の権利として、それもまた一方的な物の見方のように思える。それこそ、自分と異なる人々にも寛容であるという態度を示す人が、同性愛者への理解が偏っている人を強く非難して不寛容なことは自己矛盾というもの。著者がお尻の穴から読み解くことについて「複雑で曖昧」と言及しているように、人の感覚というものは多種多様であることを認識しなくてはならないと考えさせられた。そんな訳で、ミステリー作品をお尻から読むのも、読み方の一つとして許していただきたいところ。

文=清水銀嶺