「感謝を言わない人」は“必ず失う”という話

暮らし

公開日:2018/5/14

 アメリカの国務長官だったコリン・パウエル氏の著書の中に、こんな話があるそうです。

 ある時、警備担当者の目を盗んで、オフィスの駐車場まで下りてみて、その係員と話をしたそうです。だいたいが移民か少数民族で賃金も低い人たちです。

 しばらく雑談をして、自分が不思議に思っていたことを尋ねました。

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 この駐車場は、職員の人数にとても小さく、キーを預かった係員たちが毎朝ものすごい苦労をして、隙間がほとんどないくらいきっちりと縦に並べて駐車するそうですが、そこで早く出られる位置にどの車を停めるのか、順番をどうやって決めるのかを聞いたそうです。

 するとその答えは、「自分たちの名前を呼んだり、挨拶をしたりする人を優先して、自分たちに気づきもしないような人は最後に回される」とのことでした。

 このことに対してパウエル氏は、「どんな相手でも敬意や思いやり、優しい一言をもって接して悪いことはありえず、それが理解できない人は必ず何かを失っている」と言っています。

 私はまったく同感ですし、自分が100%できているかはわかりませんが、極力そういう態度でいるようにと心がけています。

 これに関連して、以前こんな話を目にしたことがあります。外食先の飲食店で「ごちそうさま」というかどうかという話です。

 これには「感謝をこめて言っている」「言うのが礼儀」という声の一方、「“いい客”であることを演技しているようで不快なので、自分は絶対言わない」「お金を払っているから店側に礼儀やねぎらいは不要」「おいしければ言うけどそうでなければ言わない」などの反対意見も挙げられていました。

 ポリシーを持ってあえて言わない、言わない方が良いと考える人がいるとは、私はあまり想像していなかったので、いろいろな見方、捉え方があるものだと多少衝撃を持って受け止めたことがあります。

 それでも私はやっぱり「ごちそうさま」は言います。それ以外の話でもそうですが、声掛けや挨拶が不要だという人は、必ずどこかに「どちらが上か、下か」という上下関係の意識が強くあるように思うからです。相手が自分より目下と見れば言わないし、目上ならば言うという感じです。お店に対する態度としては、いろいろ理屈は言っていても、「自分が客」「お金を払っている」、だから自分の方が上だと思っているように見えます。

 それがその人の価値観ならば、私はあえて否定はしませんが、それはパウエル氏が言うように「必ず何かを失っている」ように思います。それが仲間なのか、友人なのか、それとも運や信頼なのか、何かはわかりません。反対に、それで得ていると思われるものもありません。しいて言えば自分のプライドくらいでしょうが、それが何かの役に立つことはあまり考えられません。

 他人に敬意や思いやりを示すことが、マイナスに働くことはありません。それは会社でもプライベートでも同じです。それならばただ合理的に考えて、そのように行動すればよいだけの話ではないでしょうか。

 なぜそうしないのか、私はあまり理解ができません。

文=citrus ユニティ・サポート 小笠原隆夫