どんな遺体も生きているかのように修復する天才エンバーマーの秘密 ラストに衝撃が走る『天才遺体修復人M』

文芸・カルチャー

2018/5/17

『天才遺体修復人M この夜(よ)の果てで、君を葬送(おく)る。』(葉月 香/ポプラ社)

 誰もが美しく死を迎えられるとは限らない。どんなに清廉に生きていても、凄惨な事故や壮絶な闘病生活によって、望まない死に顔を浮かべることはある。それでも、記憶に刻まれる顔は、できるだけ生前の美しく朗らかな状態であってほしいと願うのは、遺族も故人も変わらないはずだ。その願いを叶えてくれるのがエンバーミングの技術。『天才遺体修復人M この夜(よ)の果てで、君を葬送(おく)る。』(葉月 香/ポプラ社)は、死者の声を聴き、どんな遺体も生きているかのように復元できるという天才エンバーマーを描いた小説である。

 どんなに努力しても、人間の手で遺体を再生するには限度がある。けれど「M」に不可能はない。遺体を修復するためにはどんな手段もいとわず、そのためにエンバーマーとしての資格をはく奪されても、リスクを冒しての依頼が殺到するほどの天才ぶり。19歳の大学生・葉山ケイトもその恩恵にあずかったひとりで、医師だった伯父のつてで、過去に父の遺体を修復してもらっていた。Mの才能をまのあたりにし、エンバーマーをめざすことを決めたケイトは、伯父の死後、なかば強引にMとの面会をとりつける。現れたのは世にも美しい、彫刻のような若い青年。その存在に魅了された彼女は、さらに強引にMの助手になる約束をするのだが……。

 生前の姿のまま、愛しい人が戻ってくる。遺族にとってはこんなにうれしいことはない。だが当のエンバーマーは、常に死者に寄り添い、どんなに凄惨な遺体にも向き合い続けなければならない。さらにMは、遺体修復のためには、越えてはならない一線を越えることもある。幼いころから死者に魅了され、生きている人間よりも死者に親しみを感じるというMの危うさを、ケイトはそばにいればいるほど感じとる。その原因のひとつに、彼の悲しい生い立ちがあると知ればなおのこと。ケイトが生者である限り、彼の目に自分が映ることはないのだ。エンバーマーとしての尊敬が増すほどに、切ない嫉妬もふくれあがる。

 だが、死者を誰より悼むということは、その実、誰より生を慈しんでいるということではないだろうか。エンバーミングの普及に努めるIFSAのホームページによれば、エンバーミングは「『尊厳ある死』『美しい別れ』には欠かせない」という。生のはかなさに気づかず、愛しい人を安易に死へ追いやってしまう人間の愚かさ。理不尽な現実に耐えた末に死の苦しみを迎えざるを得なかった人たちの無念。どちらも身に染みて知っているからこそ、Mは死者に生の輝きをふたたび与えようともてる力のすべてを注ぐのだ。その結果、罪を犯すことになってでも。

 Mのしていることは「善」ではないのかもしれない。Mのすべてを受け入れようとするケイトも、また。だが、人の幸せはときに倫理だけでははかれない。誰かに真に寄り添うこと、愛することの意味を考えさせられる、涙なくしては読めない著者渾身のデビュー作である。

文=立花もも