カタツムリが食べる音って? 難病患者に生きる希望を与えた1匹のカタツムリ

文芸・カルチャー

2018/5/17

『カタツムリが食べる音』(エリザベス・トーヴァ・ベイリー:著/高見 浩:訳/飛鳥新社)

 人間が犬や猫と心を通わせていく物語は数多くあるが、本書『カタツムリが食べる音』(エリザベス・トーヴァ・ベイリー:著/高見 浩:訳/飛鳥新社)は、難病に苦しむ著者が1匹のカタツムリに生きる希望を与えられたノンフィクション小説だ。

 著者であるエリザベスさんは34歳のとき、ヨーロッパ旅行へ出かけ、深刻な神経症状を発症してしまった。発症後は大きなクリニックをたずね、専門医に診てもらったものの、感染の原因は特定できず、数カ月にわたって入退院を繰り返すうちに合併症も引き起こしてしまった。

 その後は、実験的な新薬を試しながら闘病を続け、一時は仕事ができるまでに回復したが、効果を示したかのように見えた治療薬が原因で、病気が再発し、脈拍や血液、消化など不随意的に動くすべての機能に障がいが表れるようになった。

 ベッドの上で辛い闘病生活を送るエリザベスさんは周りと自分の日常を比べるたびに絶望し、生きる希望を失いそうになる。そんな彼女の心を救ったのは、友人が森から連れてきた1匹のカタツムリだった。

 必要なケアを受けられるよう1間のアパートに移ったエリザベスさんは、病気の治療を行いながら、カタツムリを興味深く観察しはじめることにした。カタツムリを初めて飼育するエリザベスさんはどう扱っていいのか分からず、空腹を満たしてあげるために、しおれた花弁をカタツムリに与えた。すると、カタツムリは1時間ほどじっくりと時間をかけながら、目の前に置かれた花弁をおいしそうに食べたのだ。そして、その時に聞こえたカタツムリが食べる音はふさぎ込んでいた彼女の心に明かりを灯した。

カタツムリの食べる、あの小さな音を聞くうちに、わたしの胸には、同じ時間、同じ場所で、あの子とわたしは共に生きているんだ、という仲間意識がはっきりと芽生えた。

 そう感じたエリザベスさんは、その日を機にカタツムリと自分自身を重ね合わせ、生きる希望を見出していくようになる。友達や同僚が働いている時間に自分はベッドで寝ていなければならない…というもどかしさも、昼間にカタツムリが昼寝をしているところを見れば、自然に和らいでいくようになった。

 健康なときには目にも留めない存在だったカタツムリが、今や大切なパートナーになっている。そう感じたエリザベスさんは、かけがえのない小さなパートナーのことを深く知りたいと思い、カタツムリに関する知識を得ながら、自分自身の病気とも向き合っていけるようになっていく。

 カタツムリは犬や猫よりも大人しくて、スローペースなリズムで生きている動物だ。ペットとして飼われることも少なく、単純な生き物だと思われることもあるだろう。しかし、本書を読んでいると、カタツムリから私たち人間が学ばせられることは多いような気がしてくる。

人間はカタツムリより速く走れるかもしれません。でも、カタツムリのように天井を逆さになって這い進むことはできません。どうしてわたしたちは、そうした能力に格差をつけようとするのでしょう。どの生物もそれぞれにユニークな能力を備えているのであって、それはすべて、それらの生活の暮らし方に適応しているのです。

 本書の中に記されているこのエリザベスさんの言葉には、どんな状況であれ、自分らしく生きていくことの大切さが込められている。

 日々の生活の中で、他人と足並みをそろえて生きていくことが重要であるかのように思えてしまうことも少なくない。しかし、私たちは同じ人間同士であっても、得意とすることが違う。それはカタツムリと人間では得意なことが違うのだということに似ている。

 カタツムリは人間のようには速く走れないが、高い壁をいとも簡単に登ることができる。人間同士であっても、障がいの有無や持って生まれた性格やできることによって個性や生き方に違いが表れる。しかし、周りに合わせて生きていかずとも、自分にできることを精一杯行い、自分らしいペースで人生を生き抜いていけばいい。一定のペースで人生を走り続けるのではなく、時には自分の心や体に寄り添いながら、スローなペースで生き抜いていってもよいのだ。

「自分の生き方や価値が分からない」――そう思った時は、自分の生きやすいペースを模索していったり、自分とは違ったリズムで生きている人や動物たちと絆を深めていったりしてみよう。人生はマラソンではない。ゴール設定は自分自身で決めればいいいのだと思わされる1冊だった。

文=古川諭香