突然襲った細菌性髄膜炎、両足義足に…病気と闘い続けた彼女が見つけた「いるべき場所」

生き方

更新日:2018/7/9

『義足でダンス ~両足切断から始まった人生の旅~』(藤井留美:訳/辰巳出版)

 アメリカのエイミー・パーディーさんは世界でもっとも有名なパラリンピアン(パラリンピック選手)だろう。スノーボード選手として、2014年のソチパラリンピックで銅メダル、2018年の平昌パラリンピックで銀メダルに輝いたのは記憶に新しい。そして、エイミーはスポーツ以外でも、モデル、俳優、慈善事業家としても活躍している。精力的な彼女の人生に励まされている人は多いだろう。

 しかし、エイミーが歩んできた道のりは平坦ではなかった。自伝『義足でダンス ~両足切断から始まった人生の旅~』(藤井留美:訳/辰巳出版)では、ソチパラリンピックまでの半生が本人の言葉で綴られている。エイミーが初めて明かした苦悩や不安、そして希望はすべての人の心に響くだろう。

 エイミーがスノーボードに出会ったのはハイスクール時代である。最初は男子たちに誘われ、興味本位で体験してみただけだった。しかし、初めて滑っただけでスノーボードの虜になったエイミーは、以後、スノーボード中心の生活を送るようになる。専門学校に通い、マッサージ・セラピストになったのもお金を貯めて「世界中を旅してスノボ」をするためだった。若かりしエイミーにとって、スノーボードはすでにかけがえのない存在となっていた。

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 しかし、19歳のエイミーを悲劇が襲った。仕事中に体調を崩し、そのまま起き上がれなくなる。病院では昏睡状態に陥り、生死の境をさまよった。エイミーがかかったのは細菌性髄膜炎。たとえ一命をとりとめたとしても、高確率で後遺症が残る重病だった。間もなく、エイミーは内臓の機能不全を起こし、足の血行が滞っていく。「またスノボができるようになりますか?」と医師に聞き続けたエイミーの願いは叶わず、両足切断の手術が行われた。

 驚かされるのは、足を失い、義足生活が始まってからエイミーが見せた前向きさである。当初は自分の置かれた状況にショックを受けていたものの、彼女にはひとつの考えが浮かんだ。

もし人生が一冊の本だとしたら、どんなストーリーにしたい?(中略)後悔なんてひとつもない人生を送りたい……病気を経験したいまもその思いは少しも変わっていない。でも新しい足が加わったのだから、人生の本もまた新しいストーリーになるはず。

 そして、エイミーの「新しいストーリー」が始まった。厳しいリハビリの甲斐あって、わずか1週間で姉の結婚式に出席し、父と踊れるまでに回復する。テレビで片足義足のスノーボーダーを知ると自分からコンタクトを取り、義足メーカーを紹介してもらった。こうしてエイミーはアメリカ初の「両足義足のスノーボーダー」となる。そして、手術前以上の情熱をスノーボードに注ぎ、競技大会で好成績を収めるまでに成長した。

 スノーボードと並行して、芸能活動のオファーも舞い込んでくる。大好きだったマドンナのミュージックビデオに出演して本人から演技指導を受けたり、映画『キングスマン』のオーディションでサミュエル・L・ジャクソンと本読みをしたり、最高の思い出ができた。『ホワッツ・バギング・セス』という映画ではメインキャストの一人を務めている。そのほか、スポーツに興味がある障害者を支援する団体「AAS」をパートナーと立ち上げ、全米で講演活動を行うようになる。エイミーの日常はめまぐるしく変わっていったのだ。そして、ソチオリンピックとテレビ番組『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』での活躍で、エイミーの名は世界中に知れ渡った。

 エイミーが充実した毎日を送れるようになったのは、「自分の経験を否定しなかった」からではないだろうか。人生を振り返ってエイミーはこう書く。

私が歩いてきた道はまちがっていなかった。自分がいるべき場所に立っていると確信を持って言える。

 人生の価値は「どこに向かうか」よりも、「今いる場所で何をするか」で決まる。打ちひしがれるほどの経験も無駄にはならないと、エイミーは自分の生き様をもって証明しているのだ。

文=石塚就一