「知ってるつもり」で思考停止してない? ネットで検索しただけで分かった気になるのは危険!!

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公開日:2018/6/11

『知ってるつもり――無知の科学』(スティーブン スローマン、フィリップ ファーンバック:著、土方奈美:訳/早川書房)

 自分で調べない「教えてくん」が、読者の周りにいるだろうか。ネットでは突き放す言葉としてGoogleで調べるよう促す「ググれカス」なんて口の悪い言い方があり、ちょっと親切な人はWikipediaの当該項目を提示してあげるけれど、『知ってるつもり――無知の科学』(スティーブン スローマン、フィリップ ファーンバック:著、土方奈美:訳/早川書房)を読むと、教えることの意義を考えさせられた。

 本書で扱っている「認知科学」という学問分野はまだ若く、登場したのは1950年代だそうで、「人間の知性の働きはどうなっているのか」「その目的はなんなのか」について、本書では心理学やコンピューター・サイエンスにロボット工学、進化論と教育など各分野を横断して論考している。

 まず私たちが理解しなければならないのは、「知っている」と思っているのが錯覚だということ。その検証方法は、被験者に何かを説明してもらい、被験者自身の理解度に対する評価がどう変化するかを調べる。たとえば、ファスナーの仕組みについて被験者に自分がどれだけ理解しているかを7段階評価で答えさせ、次にその仕組みを詳細に説明させてみると多くの被験者が答えることができず、再び7段階評価をするよう求めると被験者は最初に聞かれたときよりも評価を低くしたそうだ。何かを説明しようとするまで、自分が知らないことを自覚できない「説明深度の錯覚」というもので、これが本書の核心でもある。

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 1980年代には、コンピューターのメモリサイズを測るのと同じ尺度で人間の記憶量を評価してみるという試みが行なわれ、「人生70年のあいだ、一定の速度で学習を続ける」と仮定した場合の知識ベースでの大きさは、1ギガバイト(GB)だったそうだ。格安のスマホでも記憶容量が32GBあることを考えると、あまりにも少ない。しかしそれは「人間の脳がコンピューターと同じような仕組みで動く」と考えるからで、認知科学者はすでにそのようには考えていないという。脳は記憶した情報をいったん捨てることにより意識を集中することができ、新たな状況が起きたときに過去の経験から有益な情報を選び出すことで、進化の過程において合理的思考の能力を獲得してきたからだ。

 ところが、合理的思考を持ったはずの人間が不可解な判断をすることがある。本書では、遺伝子組み換え作物やワクチン接種への人々の態度を事例として挙げていた。遺伝子組み換え作物の危険性が高くないことは、欧州委員会によると過去25年にわたる500以上の独立した団体における調査結果から分かっている。では、科学的に正しい情報を提供すれば反対意見は減るのかといえば、教育的水準が高く裕福層の集まる都市においても子供への麻疹のワクチン接種を拒否する保護者が10%もいるという。しかし本書で指摘しているのは、賛成派も正しく理解しているのではなく、「信頼できる人の意見をそっくり受け入れるしかない」という点だ。つまり人間は、情報が正しいかどうかではなく、他者とのコミュニケーションにより確固たる根拠があると思い込み、これが「知ってるつもり」となる。

 そういえば、自分の理解度を深めるための勉強方法の一つに人に教えるというのがある。その過程で他の人から間違いを指摘されたり、最新の情報を提供されたりすることもあるだろう。もちろん、その内容自体が間違っているという可能性もあるが、それもまた自分の知識を点検し補強する材料となる。この複雑で全てを真に理解するなど不可能な現代社会で生きていくのには、人に教えるというのが自分にとっても社会にとっても必要なことなのかもしれない。

文=清水銀嶺