「男梅雨」や「女梅雨」ってなに? 日本語の美しさに触れられる『雨の名前』

暮らし

公開日:2018/6/15

『雨の名前』(高橋順子:文、佐藤秀明:写真/小学館)

 しとしとと雨が降り続く梅雨は、憂鬱な気持ちになってしまうことも多い。そんな時期にこそ、読んでほしいのが日本の雨を詳しく紹介した『雨の名前』(高橋順子:文、佐藤秀明:写真/小学館)だ。本書には、422語もの雨の名前や148点の雨の写真、35篇の雨の詩とエッセーが収められている。今回はその中でも、夏の雨を楽しめるようになる言葉や詩を紹介していきたい。

■梅雨にもいろいろな種類がある

 梅雨とは、6月上旬から7月の下旬にかけて降り続く雨のことだ。しかし、そんな梅雨にはさまざまな雨が隠れており、地域によっても呼び名が異なることをご存じだろうか。例えば、梅雨がないといわれる北海道では、たまに見られる梅雨の現象のことを「蝦夷梅雨(えぞつゆ)」という。本州に住んでいる方にとって初めて耳にするこの響きは、いつもと違った梅雨のイメージを与えてもくれる。

 そして梅雨は雨の降り方によって、「男梅雨」と呼ばれたり、「女梅雨」と呼ばれたりもする。男梅雨とは明快な陽性型の梅雨であり、烈しく降ってサっと止む。それに対して女梅雨は、しとやかな女性を思わせるかのように、しとしとと長く降り続く。同じ梅雨でも雨の勢いや受け手の感じ方によって名称が変わるというのは、とてもユニークに思える。

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 他にも、災害をもたらすほどの集中豪雨を降らせる梅雨の後期は「荒梅雨」と呼ばれたり、梅雨が明けたと思ったら、また戻ってきたように2、3日雨が降り続く時期を「返り梅雨」と呼んだりもするそうだ。本書はこのように、梅雨の知識とともに日本語の奥深さも教えてくれる。日本の梅雨は、呼び名にも趣が詰まっているのだ。

■雨は人の心を映す

 夏の雨の章に掲載されている詩の中で、ぜひ大人になったみなさんに読んでほしいのが童心を思い起こさせる「空き地」だ。

空き地

果物屋と製本所のあいだの
ちいさな空き地に
何十年ぶりかでカヤツリグサやオミナエシが生え
虫が鳴いている
野原ではない野原
の土にも雨がしみとおってゆく
わたしは遠い目をして
この辺りが林や原っぱだったころを思い浮かべている
千駄木 田端 谷中 根津
木と草と水にゆかりの地名をもつ大地
それから十日も経たなかった
野原は均されて駐車場になった
コンクリートの上を雨水が叩く
叩く

 思い出の空き地が変わっていくのを嘆いており、自分の成長を物悲しくも思っているように感じられる。野原に打ちつけられる雨とコンクリートに叩きつけられる雨は、どちらも同じ雨にすぎない。しかし、受け手の感情や年齢によって、雨の感じ方はまったく違ってくるのだ。

 そう考えると、雨には人の本音を引き出す力があるのかもしれないとも思えてくる。雨はもしかしたら、自分の気持ちに素直になることの大切さを私たちに教えてくれているのかもしれない。

■雨は天からの贈り物

 本書には地域ごとに異なる雨の名前も多数収録されている。例えば、沖縄の与那国島ではにわか雨のことを「もらったあみ」と言うそう。その言葉には、急な雨も天からの授かりものとして嫌がらずに、感謝しようとする島民のおおらかさが詰まっている。

 また、秋田県では日照りが続いた後に降る雨のことを「宝雨(たからーめ)」と呼ぶのだそう。この呼び名には、恵みの雨を喜ぶ人々の気持ちが惜しみなく込められている。そして、宮城県の石巻市の人々は、にわか雨や夕立のことを「御雷様雨(おらいさまあめ)」と言い、お天道様やお月様のように雨や雷も神聖なものとして考えているようだ。

 こうした各地の呼び名から、雨は昔から人々にとってかけがえのない宝物であったことがうかがえる。雨が降ると憂鬱な気持ちになってしまうことも多いものだが、そんな時は雨を敬い、感謝してきた人々の心を思い出すのもよいのではないだろうか。

 四季折々の雨が楽しめるのは、日本の良さである。雨は喜びを感じさせてくれたり、自分の心と向き合う時間を与えてくれたりする。もしかしたら私たちの心を晴れにするためにも、雨は欠かせないものなのかもしれない。

文=古川諭香