富士山の見える町で介護士として暮らす男女――生まれた町に縛られた人々のせつない恋愛小説

文芸・カルチャー

公開日:2018/6/16

『じっと手を見る』(窪美澄/幻冬舎)

『ふがいない僕は空を見た』『晴天の迷いクジラ』などの作品で、現代人の抱える孤独を描いてきた窪美澄。彼女の小説に登場するキャラクターたちは、一般的な「幸福」の概念から外れて、痛みを抱えながら生きている。だからこそ、読者は幸福の形がひとつではないと気づかされ、キャラクターに感情移入せずにはいられないのだ。

 新作『じっと手を見る』(幻冬舎)は、文芸誌で連載されていた連作短編に加筆修正をほどこし単行本化した一冊である。ここでは、地方に暮らす男女の閉塞感がリアルに綴られていく。章ごとに視点人物が切り替わり、それぞれの生い立ちが語られていく中、共通しているのは「ここではないどこか」への強い憧れだ。10年近い時間を経て、登場人物の心境にどんな変化が訪れるのか、あるいは訪れないままなのかをしっかりと読み取ってほしい。

 舞台となるのは富士山の見える、地方のさびれた町。専門学校を卒業した日奈と海斗は、地元の介護施設に就職する。何もない場所で、単調ながらも厳しい仕事が続いていく。気晴らしになるのは新しくできたショッピングモールだけだ。家族に先立たれた日奈を守ろうと、海斗はいつも彼女に寄り添っていた。そして、日奈も海斗の思いを受け入れて静かに暮らしていた。彼女には、心から楽しいと思える瞬間こそなかったものの。

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 ところが、2人の前に東京のデザイン会社を経営している男、宮澤が現れる。専門学校のパンフレット制作のため、卒業生を取材しに来た宮澤に日奈は惹かれていく。洗練された都会人である宮澤には、地元の人間にはない魅力があった。そして、宮澤も日奈を意識するようになる。

「庭の草を」
「刈ってあげようか」
「っていうか、刈らせてもらえないかな」

 草刈りという名目で家に通うようになった宮澤と日奈はほどなくして深い関係になる。海斗は日奈の心変わりを知っても、認めることができない。そして、乱暴に日奈を抱けば抱くほど、彼女の心はますます宮澤に傾いていく。一方、海斗の前にも新しい女性が現れる。職場の後輩で、シングルマザーの畑中が海斗との距離を縮めてきたのだ。もともと恋愛と呼ぶにはあまりにもつたなすぎた日奈と海斗の関係は終わりを迎える。

 日奈の行動を勝手だと思う人もいるだろう。また、日奈を無理やりつなぎとめようとして傷つけてしまう海斗を腹立たしく感じる瞬間もあるかもしれない。しかし、日奈のように生まれた町でずっと過ごし、さまざまな可能性を失って年をとっていく焦燥は、誰もが耐えられるものではないのだ。本作では、何度も富士山が登場人物の視界に入ってくる。いついかなるときも揺るぎようのない富士山の存在感は、日奈や海斗にとっての「故郷の呪縛」そのものであり、遠くにちらつく「ここではないか」の象徴だ。

 やがて、日奈は宮澤を追って東京に出ていく。思いのほか、日奈はすんなりと東京の生活に慣れ、新しい仕事も見つけた。だが、だんだん宮澤の真の姿も見えてくる。恵まれた人生を過ごし、金にも女性にも不自由してこなかった宮澤もまた、「ここではないどこか」を求めずにはいられない人間だった。いや、生きている限り、誰もが自分の場所に完全には満足することなどないのかもしれない。

 介護士としての仕事を続ける日奈は、村松さんという老人からある告白を受ける。いくつになっても、人間同士はすべてを理解することなどできないし、許し合うこともできない。心に居座った孤独が完全に消える日が来ると期待するのは幻想なのだろう。ならば、最初から他人を求めるのは間違っているのだろうか? 本作のクライマックスで、日奈や海斗はひとつの答えに辿り着く。不器用に愛を探してさまよう2人は、愚かながらとても純粋だ。

文=石塚就一