少女マンガはスポ根化した!? ダメ人間キャラはどうして愛しい? 現代マンガ評論の最前線

アニメ・マンガ

2018/6/23

『マンガの「超」リアリズム』(紙屋高雪/花伝社)

 あるマンガ作品の内容が「暴力的」「過剰に性的」として、問題視されるのは珍しいことではない。数々のマンガ作品が「有害図書」に指定され、青少年への悪影響を懸念されてきた。しかし、マンガ評論家でありブロガーの紙屋高雪さんは「絵本はいいのに、マンガはダメなの?」と問題提起をする。絵と文字を組み合わせ、幼い年代にも訴えかけやすい表現として、確かにマンガと絵本は似ている。だが、絵本の内容について子どもへの有害性を論じた事例は、マンガに比べると圧倒的に少ない。

 どうしてマンガだけが世間から目の敵にされるのだろう。そして、マンガだからこそ描ける「重要なテーマ」もあるはずなのではないか。紙屋さんの新著『マンガの「超」リアリズム』(花伝社)は、現代マンガの受容について、一石を投じる評論集だ。ここで紙屋さんは「マンガが正義や理想も描けること」「それでもマンガが一般的な正しさとぶつかってしまう瞬間があること」を考える。そして、「有害と思われているジャンルの面白さはどのようなリアルによって成り立っているのか」を追求する。マンガファンだけでなく、マンガの過激な描写に眉をひそめてきた人にも読んでほしい内容だ。

 現代マンガのジャンルは細分化し、さまざまな読者層を想定しながら百通りの「リアル」が設定されるようになった。そして、マンガの「リアル」が、一般社会の規範から外れていく事態も往々にして起こっている。しかし、だからといって「マンガは教育に悪い」と断じてしまうのは正しいのだろうか。こうした疑問を解き明かすには、実際に現代マンガのジャンルを構造分析していくしかない。マンガ読みとして、圧倒的な読書量と読解力を持つ著者だからこそできる指摘の数々は、読者に新しい視点を示していく。

 たとえば、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』に代表される「ダメ人間マンガ」は、まさに新興ジャンルと呼ぶに相応しい。「ぼっち」「コミュ障」と揶揄されるキャラクターの日常を、やや自虐的なテイストで描いていくのがこのジャンルの特徴だが、「読者がキャラを見下している」との批判もある。しかし、コミュニケーション能力を学校や会社で要求され、誰もが人間関係に疲れているからこそ「ダメ人間」キャラに自分を重ねている側面もあるのではないか。そう、実際は読者が「ダメ人間」を見下すどころか、愛しく共感できる存在として見守っていることも多いのだ。

「スポ根マンガ」も賛否両論あるジャンルである。過酷な試練を主人公に課し、勝利を目指すという設定は、ともすれば「自己責任」論を助長しかねない。つまり、「試練に耐えられないのは自分が弱いからだ」という発想を許してしまうのだ。だが、著者は『青空エール』のような少女マンガのヒット作が「スポ根」の構造を持っていると述べる。それでも、昭和の時代のスポ根と違うのは、吹奏楽部で厳しい状況に置かれたヒロインには、常に見守ってくれる「友達」がいる点だ。現代の少年少女が学校生活の何を試練と感じ、何に救いを見出しているかが「スポ根」の形をとって見えてくるのである。

「エロマンガ」や「戦争マンガ」など、しばしば議論の対象になるジャンルも本書では取り上げている。著者の「エロマンガでなくても、政治的に偏ったマンガや、幼い子どもに幻想を刷り込んでしまう少女マンガも危険ではないのか」という主張は非常に理に適ったものだ。そのうえで、著者は批判する側の意見を抑圧するような風潮も懸念する。エロマンガを楽しむ視点も問題視する視点も門前払いできない著者からは、マンガ読みとしての公正さを感じとれる。

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』『この世界の片隅に』などの話題作を解析する際には、性や戦争表現の移り変わりが語られていて面白い。価値観が多様化していくにつれて、現代マンガも作品ごとに個性的な主張を行うようになってきた。マンガ家たちの豊かな声に耳を傾けるために、本書は絶好のガイドとなっている。

文=石塚就一