ゴリラが世のイクメンパパに送る「ヒトへの警告」とは?

スポーツ・科学

公開日:2018/6/14

『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』(山極寿一/毎日新聞出版)

 日本の学問最高峰の1つ、京都大学。そのトップ「総長」の座に就く山極寿一博士は、ゴリラをはじめとする霊長類研究の世界的権威だ。その研究活動は凄まじく、『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』(山極寿一/毎日新聞出版)の冒頭で早速度肝を抜かれてしまう。

■「ゴリラの国に留学する」とは?

 ニホンザルの生態を調査していた山極博士は、長野県地獄谷を皮切りに日本中のサルの生息地に入り込み、彼らと同じような暮らしを実体験して味わい、コミュニケーションを交わし続けた。どうやらニホンザルの作法を体得したという頃、今度はアフリカの熱帯雨林でゴリラの調査をすることになった。

 アフリカ・コンゴの深い森に分け入って、ひたすらゴリラを追いかける。はじめは逃げ出したり攻撃してきたりする彼らだったが、そのうち山極博士を敵視しなくなり、やがて群れの中に入れてもらえるようになった。

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 ゴリラは常に山極博士の様子をうかがい、その行動が気に入らないとすぐにお叱りの声を飛ばすのだという。そのたびに山極博士は自身の行動を修正し、ゴリラと共に暮らす作法を身につけた。

 サルやゴリラと共に暮らしながら彼らの生態を研究するなど、一般人の私たちには想像できない世界だ。博士はこれを「ゴリラの国に留学する」と表現している。冒頭の文章を読むだけで「ほ~」と唸ってしまうが、それだけではない。ここからこの本の本旨が始まる。

■なぜヒトはゴリラのように泰然自若としていられないのか

“留学”を経て1頭のゴリラになりきることで研究を続けた山極博士は、我々より体が大きく、威風堂々と誇りを持つ彼らに魅了された。そうしてゴリラの研究を終えて、ヒトとして人間社会に戻ってきたとき、この世界にどこか違和感を覚えたという。

 不安定な二足歩行、落ち着きのない動作、親離れの遅い子どもたち。こういった「ヒトとしての当たり前」に加えて、困っている人を助けようとするお節介な一面が見られる一方で、あちこちで起こるいじめや暴力。なぜヒトはわざわざ苦しい生き方をしてしまうのか。なぜゴリラのように泰然自若としていられないのか。

 パワハラ・セクハラ、少子高齢、家庭内トラブルなど、歪みの止まらない日本のトラブルの根本は、もとよりヒトが備えている特徴の由来や本質を誤解することから生じているのではないか。山極博士はそう考えた。

 私たちが抱く「最近の日本はおかしい」という疑問や違和感に、山極博士は共に過ごすことで得た「ゴリラの目」から斬りこむことで、問題をあぶりだし、解決策を探っている。タイトルの通り、本書はゴリラから送られる現代社会への警告とアドバイス集なのだ。

■イクメンパパに送る「ゴリラ型子育て」の警告

 それでは本書より1つだけ、その警告を紹介したい。

 昨今は「イクメンパパ」がよく話題になる。積極的に子育てに参加し、家庭を顧みる理想的な父親像だ。しかし、山極博士はこれを「ゴリラ型イクメン」と称し、「それだけでは利己的な社会になってしまう」と警告を送る。なぜイクメンパパにイエローカードが送られてしまうのか。これを解説するには、まずヒトが進化の過程で築き上げた「コミュニティ」について解説しなくてはならない。

 本書で10ページにわたって解説される内容をぎゅっと要約すると、ヒトは家族だけでなく「コミュニティ」を形成しなければならなかった。ヒトの赤ちゃんが類人猿の赤ちゃんに比べてはるかにひ弱で手がかかるため、多くのヒトが関わることで子孫を守り抜く仕組みを作る必要があったのだ。

 この結果、ヒトは「共感」を手にする。泣きじゃくる赤ちゃんをあやすため、親に限らず、祖父母、親戚や近所、周囲の人が代わる代わる子守りをする。この幼少期の体験が他者を思いやる心の形成につながり、自身も成長してコミュニティの一部へと組み込まれていく。

 なによりヒトは「父親」という文化的装置を生み出した。手のかかる赤ちゃんは、母親だけでは育てられない。そこで父親も育児に参加する。これは他の種ではあまり見られない行動だ。

 ゴリラは、「父親」としての行動を見せる動物の中ではまれな種であるが、簡単にそうなることはできないのだという。まずは子を産んだ母親に認められないと子どもを預けてもらえない。その後も子どもから信頼されないと父親としての行動力が発揮できない。

 一方、ヒトの社会には、複数の父親的役割を果たす存在がいる。実の父親、おじいちゃん、近所のおじさん、学校の先生など、コミュニティを形成することで子育てに参加する人数を増やし、親の役割を「虚構化」させることで、お互いに認め合う柔軟で共感性のある社会を作り上げた。これが現在の人間の繁栄の理由の1つだ。

 しかし昨今の社会を見ると、この仕組みが崩れつつある。育児に参加する男性が増えたものの、核家族化が進み、地域の結びつきは弱くなった。これでは母親と子どもだけに認められた「ゴリラのような父親」が増えてしまう。周囲の人々も子育てに参加する、柔軟で共感性のあるコミュニティが弱体化しているのだ。

 コミュニティ性を失った環境で育つと、その子どもは家族や近親者だけの利益しか考えない利己的な社会を作り始める可能性があるそうだ。文化的装置である「父親」の存在を失うことは、ヒトとしてのアイデンティティを失うことにもつながる。

 イクメンパパは素晴らしい存在だ。しかし子どもと社会全体のことを考えると、コミュニティ全体の中で育児を行うことがヒトとしての正しい在り方。だからイクメンパパになる前に、まずはコミュニティを作り、そこに所属しよう。近所や親戚とつながろう。

 私たちはAIでもロボットでもない。太古から作り上げてきた「ヒトとして生きる仕組み」を軽視してはいけない。我々が間違った方向に進化すればするほど、人間は「ヒト」を見失い、心が苦しくなる。本書はそれを気づかせてくれる1冊だ。ゴリラからの警告を無視してはいけない。ゴリラがゴリラであるように、人間はやはりヒトとして生きるべきなのだ。

文=いのうえゆきひろ