「コミュ障」はある意味空気を読めている——その理由とは?

暮らし

2018/6/27

『「コミュ障」の社会学』(貴戸理恵/青土社)

 初めて「コミュ障」という言葉を耳にしたのは大学生のときだ。決して内向的なほうではなかったが、対人関係に関する悩みは常に抱えていた。この「コミュ障」という言葉を聞いたときにピンと来たのである。わたしはコミュ障かもしれないと。

 コミュ障はしばしば社会不適合者と同義のように語られるが、わたしはこの解釈に少し違和感を覚えていた。わたしには社会とたしかにつながっているという感覚があったからだ。長年胸に抱いてきたこの思いが一体何なのかが明らかになったのは、『「コミュ障」の社会学』(貴戸理恵/青土社)を読んだときである。このとき初めて、「コミュ障」が社会と隔絶された存在ではなく、社会と非社会の裂け目に陥って身動きが取れなくなっている人のことを指すのだということがわかったのである。

 本書は、「コミュ障」とはなにかについて、現代社会における生きづらさやありのままの自分といった観点からアプローチしている。その際、社会学において「社会」と「非社会」のはざまに存するものとして扱われる「不登校」という現象が中心にフォーカスされている。

■「コミュニケーション能力」と「コミュ力」

 本書では、「コミュニケーション能力」と「コミュ力」を少しニュアンスの違うものとして位置づけている。前者は、主に以下の1~6の要件を満たしているものである。

1.外国語運用能力、プレゼンテーション、ディベートで用いられる技術的な能力
2.背景の異なる他者を理解し自己を発信する異文化コミュニケーションの能力
3.就職活動やAO入試などの面接などで「自分の物語」を語り受け答えする能力
4.合コンや営業などで一般的な相手に不快感を与えず距離を縮めていく能力
5.友人や恋人など特定の親密な他者と関係性を築く能力
6.ケアや教育の現場などで相手のニーズを汲み取る能力

 後者の「コミュ力」はこれらに加えて、学校の休み時間などに可視化される、周囲の空気を読み・ノリに合わせて盛り上がる能力も重要視される。

 たしかに「コミュニケーション能力」のある人は「社会性」を持ち合わせているといえるが、「コミュ力」のある人に本当の意味での「社会性」が備わっているかどうかは疑問である。そこで今度は、真の意味での「社会性」という観点から、「コミュ力」のある人と「コミュ障」との対比をみていこう。

■「社会性」から見る「コミュ力」のある人と「コミュ障」の人

 一般的に、周りの空気を読み、ノリに合わせて場を盛り上げる人が「コミュ力」のある人だとされている。しかし、この「コミュ力」にはエンタテインメントとして人を侮る力も含まれているのである。人を侮るとなればちょっとした差別やいじめはつきものだ。もちろん「コミュ力」が「人を貶める力」と同義ではないが、エンタテインメントとして人を侮る行動が「コミュ力」と重なり合う部分が少なからず存在するということである。すなわち、「コミュ力」がある人全員が必ずしも真の意味での社会性があるとは言えないのである。

 これに対して「コミュ障」とはなにか。それは決して非社会的な存在ではない。むしろ、ある意味ではものすごく社会的な存在なのである。というのも、わたしを含めた「コミュ障」と呼ばれる者たちは、自分がコミュ障であるという認識の下で、他者の目にはコミュ障である自分がどのように映っているのだろうかと常に気にしているからである。それゆえ、つまり空気を読みすぎるゆえに、他者とのコミュニケーションがうまく取れなくなってしまっているのである。

 本稿で紹介できたのは「不登校」という現象を除いたほんの一部分。本稿を呼んで、興味を持った人は、ぜひとも本書を手に取り「不登校」に関する議論まで踏み込んでいただきたいと思う。

文=ムラカミ ハヤト