まったく世の中は「違和感」だらけ! 爆笑問題 太田光、世の中のへんなことに物申す

エンタメ

2018/7/2

『違和感』(太田 光/扶桑社)

 日ごろの生活の中で「違和感」を覚えることはしばしばある。コンビニ店員の言葉づかい、久しぶりに会った友人の似合っていない髪型、不祥事を起こした政治家の釈明…数えればきりがない。しかし私たちはその「違和感」ひとつひとつに立ち止まることはない。心に引っ掛かりを感じつつも、なんとなくやり過ごして日々を送っている。

『違和感』(太田 光/扶桑社)は、爆笑問題の太田光が“世の中のへんなこと”に対する違和感を、自身の思想、信条に照らしてバッサリ斬った渾身の語り下ろしだ。垣間見える苦悩や戸惑いは、普段、奔放に見える太田光からはちょっと想像しがたいものだ。

■「笑い」は時に人を殺し、人を救う

「いじめ」なのか「いじり」なのか? 境界線はあいまいだ。“愛情”があれば「いじり」だという人もいるが、もし「いじめ」の張本人が“愛情をもってやった”といったらそれは「いじり」なのか。お笑いの世界では「いじる」ことは定番。「いじられキャラ」はおいしいとさえいわれるが、太田は、「いじめ」も「いじり」もまったくおなじものだと思っている。人を見て蔑んで笑ったり、バカにしたりした経験は誰もが持っているものだし、それがない人間の方がウソくさい。著者、太田光はいう。

すべからく、人間は残酷な一面を持っている。
笑うし、笑われるし、いじるし、いじられるし、いじめるし、いじめられる。
いじめる側もいじめられる側も、そんな人間のひとりで、誰もが完璧じゃない。
だからこそ、その残酷さに蓋をして綺麗事とせず、みずからの作品や芸で人間を描く表現者に俺は感動するし、そういう作品に救われてきた。(中略)
笑いは時に人を殺しもするし、時に人を救うのだろう。

■「笑い」と「孤独」

 著者はさらに「笑い」を“哲学”する。自分の「笑い」が人を救うかもしれないし、逆に誰かを傷つけるかもしれない。「善悪」という危うい価値観でなく、自己を検証し続けるにはどうしたらよいのか。そのキーワードが「笑い」と「孤独」だという。そもそもお笑いの世界の人間は“善いことをしよう”と思ってやっているわけではない。本来笑うべきでない葬式の席で笑いをこらえられなくなったり、他人の不幸や困っている姿を見てその滑稽さに大笑いしてしまったりするような笑いは、善悪でいえば悪なのかもしれないが、人はそういうときに笑う生き物なのだ。

 そして、「孤独」。人はひとりでは生きていけない。だから、なんらかの組織・団体に属しているものだが、発想だけは組織に縛られず自由でいたいと太田は願う。読書という名の孤独な時間、それは太田にとって何人にも侵されることのない貴重な時間だという。

 爆笑問題は結成30周年だ。テレビ出演時の毒舌、暴言連打の一面と、哲学や文学の素養に裏打ちされた教養人としての一面。これからも、危うく大胆に独自の「笑い」を提供していってほしい。

文=銀 璃子