「今の私はきっと世界一醜い」…認知症介護者の心のノイズを包み隠さず描いた『祖母の髪を切った日』

マンガ

公開日:2018/7/7

『祖母の髪を切った日』(しかばね先生/KADOKAWA)

 頭部のみが骸骨という強烈なキャラクター=自分を主人公にして、“思い出漫画”をネット上で発表してきたしかばね先生が、亡くなった祖母へ向けて感謝と後悔の念を綴ったデビューコミックス。

 中国地方のとある田舎町で育った幼少期の“しかばね”には母親がおらず、さらには父にもネグレクトされ、祖母と暮らしていた。少ない年金からやりくりしていたであろう家計は大変に厳しく、しかばねには缶ジュースを買うていどの小遣いすら皆無。草むらで見つけたオロCの空き瓶に水道水を入れ、ジュース気分でごくごくノドを潤すシーンは、あまりにも不憫……なのだけど、「これを外で飲んだら誰かに自慢できる」という小学生らしい純な発想にクスリともさせられる。この緩急が本作のキモだ。

「お人形さんのおむすびが入ったお弁当が食べたい」とねだった幼稚園児のしかばねが、ワクワクしながら弁当箱のフタを開けるとリアルな造形のこけしが出現するというパンチの効いたエピソードを筆頭に、お婆ちゃんのちょっとズレた感性がもたらすユニークなやりとりがそこかしこにちりばめられており、ともすればズーンと重たくなってしまう作品全体の印象を、やわらげてくれる。

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 しかばね先生は自分のことを「クラスに必ず1人はいた汚い子ども」と称しているが、陰口を叩かれ、時には強い劣等感を抱きつつも、仲良しの友達と元気に遊び回り、性格も捻くれずにすくすくと子ども時代を過ごしていく。貧乏に負けず、常に明るく優しいお婆ちゃんの育て方によるところが大きいのは想像に難くない。

 青年期に入り、仕事を始めたしかばねは念願の自由をゲット。恋人も出来て、夜遊びも覚え、青春を謳歌する。その一方で遅めの反抗期が訪れ、大好きだったお婆ちゃんとのコミュニケーションはどんどん減っていくのだった。

 そんな時期、お婆ちゃんに少しずつ異変が現れる。見えない何かに怯え始め、ゴミを散乱させ、やるべきことを忘れ、あげくの果ては可愛い孫を泥棒呼ばわり……。思わず声を荒げて泣かしてしまうも、翌日にはケロっとしている。まるでジキルとハイドのようなお婆ちゃんに困惑するしかばね。そう、認知症の初期症状が始まったのだ。

 そこから生活は一変。慣れない介護の日々に、どんどん心がすさんでいくしかばね。お婆ちゃんを愛おしいと思う気持ちは忘れていない。介護の勉強も始めた。でも世間体は気になるし、どうしても自分の中にドス黒い感情が渦巻いていく。気持に余裕がなくなり、SNS上で笑顔を振りまく同世代たちを見ると、楽しそうで、幸せそうで、うらやましくて仕方がない。「緩やかになにもできなくなっていく人間を、ただただ見ているだけ」「絶望しかない」「早くいなくなればいいのに」。そんな呪詛を吐く自分が、どんどん嫌いになっていく。

 当時の心のノイズは変幻自在に漫画表現に落とし込まれていく。ファニーにデフォルメされた骸骨の表情はおぞましいホラーテイストになり、画面はぐにゃぐにゃと歪み、魂の叫びが背景を覆い尽くす。そこには壊れる寸前まで追い詰められてしまった人間の狂気が叩きつけられている。

 勘違いしないで欲しいのだが、本作は“認知症や介護の実態を知ってほしい”という啓蒙を主軸にした作品ではない。あくまで作者のなかにいまだくすぶり続ける、亡き祖母への心情を描いたにすぎないのだ。タイトルにつながる美しい最終回、内なるバケモノを引きずり出したしかばねの心に、ふっと明るい光が灯る瞬間を捉えたかのような見開きに心奪われる。

文・奈良崎コロスケ