きちんとできてる? 将来のためにも10歳までに身につけたい、子どものマナー

出産・子育て

公開日:2018/8/8

『10歳までに身につけたい 一生困らない子どものマナー』(西出ひろ子/青春出版社)

「お里が知れる」という言葉がある。どんなに豪華できれいなものを身にまとっていても、付け焼刃では言葉やしぐさによってその人の生まれや育ちが分かってしまう、という意味だ。言葉や生活習慣はそう簡単に変えることはできない。子どものころからの地道な積み重ねが、付け焼刃ではない「本物」になるための近道である。そうした子どもに身につけさせたいマナーを紹介しているのが『10歳までに身につけたい 一生困らない子どものマナー』(西出ひろ子/青春出版社)だ。

 マナーというと、食事のときの作法など堅苦しいものだと考えている人も多いかもしれない。本書で紹介されているマナーの中には、たしかに食事中の作法もある。しかし大半は「おはよう」「おやすみ」などのあいさつやごみはごみ箱に捨てるなどの基本的な生活習慣にまつわるものだ。道路ではふざけない、公共のトイレを使ったらきれいにして出るなど、街や、乗り物の中でのふるまいについても多くのページが割かれている。

「電車では降りる人が先」「次の人のためにドアを開けたらおさえておく」「悪口は言わない」など、書かれていることは至極当然のことばかりだ。にもかかわらず、なぜそれが本になるのか。おそらくできない人が多いということなのだろうと思う。そもそもマナーはなぜ身につける必要があるのかを考えてみたい。

advertisement

 著者は、マナーは「思いやり」であるという。「どこに行っても恥をかかないため」なのだそうだ。本書ではこの主張がいく度となく繰り返されている。たしかにそのとおりである。しかし、読み進めるうちにこの理由に関しては違和感を覚えるようになった。なぜなら、マナーを身につけるのは自分がどう思うかではなく他人から見られたときに恥ずかしくないか、という視点だからだ。「恥ずかしくないこと」が基準であれば、見る人がいなければどうふるまっても構わないことになってしまう。

 イギリスでの生活経験がある著者は毎日子どもの礼儀正しさに感心していたという。ミドルアッパークラス以上の家庭であればマナースクールに通うこともごく一般的なことらしい。著者のいうように「相手が大人であろうが、子どもであろうがどんな相手にも敬いの気持ちをもって接する心をもった人が社会に出たときに可愛がられる」というのは事実である。ただ、イギリスの子どもたちが日本の子どもよりもよくしつけられているとしたら、階級社会の同国では常に意識を相手や周囲に向けることが社会生活をしていく上でより必要性が高いからなのではないか。評価軸が他人にあるよりも、自分の中に社会の一員としてどうふるまうのが適切かという基準を持っている人の方が美しいと感じるのはわたしだけではないだろう。

 そう考えれば、マナーを身につけるべき理由は「社会に出れば知らない人ともたくさん出会う。そのようなときでもマナーがあれば、不要な競争や無駄な不快感を引き起こすことがなくスムーズに物事を運ぶことができる」という方がしっくりくるように思う。

 マナーは大人になってから身につけるのは難しい。明文化されたルールではなく、逸脱しても罰則はない。だからこそ呼吸をするのと同じようにごく当たり前のこととしてふるまえるようになるのがベストである。そのためには、物心つく前から周囲の大人がどう子どもに関わっていくかが大切だ。自分の子をどこに行っても愛される子どもに育てたいと思うなら、親の日頃のふるまいを正すことからはじめたい。なぜなら、子どもは言葉よりも身近な大人の行動から多くのことを学んでいるからだ。親ができていないことを子どもに身につけさせるのは至難の業である。

 本書は親子で読むことができるようにイラストも多用されているが、客観的に読み進めるだけでなく、自分の行動を見直すチェックシートして活用する方が効果的かもしれない。

文=いづつえり