鬼は今もあなたのすぐ後ろにいる! 歴史上の鬼を読み解いてみると――

文芸・カルチャー

2018/8/21

『鬼と日本人』(小松和彦/KADOKAWA)

 鬼は、古代から日本人とともにその歴史を歩んできた。古くは『日本書紀』や『風土記』などに登場し、現代にいたるまでさまざまな物語や会話の中で語られている。私たちの生活の中でも、「鬼の居ぬ間に洗濯」「鬼の首を取ったよう」などの鬼が入ったことわざを使ったり、指導の厳しい先生を「鬼のようだ」とたとえたりすることもある。それくらい、鬼の存在は身近なものだ。日本人は、誰しもが子供の頃から絵本などで鬼に触れているので、そのイメージもある程度共通している。たくましい体つきや、醜悪な顔、頭に生えた角、鋭い牙――。

 鬼は、私たち日本人にとって、昔から“恐ろしいもの”の象徴であり続けてきた。本書『鬼と日本人』(小松和彦/KADOKAWA)は、こうした鬼という存在を切り口に、その背後にある“人の歴史”をひもといていく。

■「鬼」は「人」の反対概念

 著者によれば、鬼は、日本人が抱いている「人」の概念を否定するもの――すなわち、反社会的・反道徳的な存在として造形されたものなのだという。例えば、有名な「酒呑童子」は、南北朝時代の絵巻『大江山絵詞』に登場する伝説上の鬼で、都の貴族の子女や財宝を奪い、秩序を乱していた。この説話は、勅命を受けた武将・源頼光(=体制側)が、酒呑童子を退治するという構図になっている。さらに、日本人は、この「鬼」という言葉を“自分たちと異なる存在”に対してひとつの“ラベル”として使っている。海を渡ってくる異民族や、山に住む先住民、自分たちの支配に従わない辺境の人々――。太平洋戦争においても、時の支配者たちは英米の人たちを“鬼畜”と呼び、恐ろしいもの、倒すべきものとして印象づけていたようである。さまざまな時代に現れる「鬼」について考えていけば、その存在を「鬼」だとみなした「人」についてもまた知ることができる。

■「酒呑童子」の説話が持つ意味

 先ほど例に挙げた「酒呑童子」の説話は、天皇や上皇といった国家の「中心」に位置する王権が、秩序を乱す鬼――「外部」と対峙する“王権説話”だと言える。つまり、「酒呑童子」の説話は、時の王権(天皇や上皇)を権威づけるためのもの。酒呑童子が自らを語る次の台詞を見れば、この説話に込められた意味をより理解できる。

「賢王、賢人の代にあふ時は、我等が通力も侍るなり」

 これは、「立派な王や人物がいる時代は、鬼たちも力を持つ」というような意味なのだが、本当に王権に力があるならば、鬼たちは衰退し、都で悪さをすることもないように思える。だが、それでは説話として“王権が力を発揮する”姿を描けない。そのため、酒呑童子は賢人・賢王の時代にその権力を危機に追い込みながらも、最後には勅命を受けた源頼光に倒されている。先の酒呑童子の台詞は、こうした王権説話の構造を表したものだといえよう。そして、王権説話が盛んに流布した中世後期は、実際には天皇や上皇の権力が極度に衰退を迎えていた時期であったというから、なんとも皮肉である。

 本書では、この他にも、酒呑童子に次いでよく知られる「茨木童子」や、鬼に豆をまく「節分」の習慣などからも、知られざる「人」の歴史を明らかにする。教科書的・表面的な日本史とは異なる、その時代を生きた人々の心理に迫る“鬼の物語”は、あなたの心を捉えて離さないはずだ。

文=中川 凌