「あなたが不幸なのはバカだから」と言われたら…? イスラーム法学者が語る極辛劇薬人生論

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公開日:2018/9/5

『みんなちがって、みんなダメ』(中田考/ベストセラーズ)

 本稿で取り上げる『みんなちがって、みんなダメ』(中田考/ベストセラーズ)の帯には、「『君たちはどう生きるか』を読むとバカになる!」なんて刺激的な言葉が躍っている。『君たちはどう生きるか』の原著のほうは、およそ80年前に書かれた吉野源三郎による児童書で、その漫画版が世間で大きく話題となった。話題になった作品をくさす捻くれ者はどこにでもいるもんで、私もその一人なのだけれど、本書は決して作品そのものを批判しているのではない。

 本書は作家であり翻訳家の田中真知が、イスラーム法学者の中田考へのインタビューをもとに再構成したもので、最終章はインタビュー形式となっている。タイトルは、大正から昭和初期に活躍した詩人の金子みすゞによる詩の一節「みんなちがって、みんないい」のパロディーだそうだ。そして本書では、あらゆる価値観に対して「恣意的なものにすぎない」とダメ出しをしていく。その中で繰り返し出てくるのが「バカ」という言葉なのだが、バカにもいろいろと種類があり、まえがきで中田氏はこう述べている。微分方程式や万有引力の法則を知らないハダカデバネズミをバカ呼ばわりして「数学と物理学を教え込もうとする奴がいれば、バカはハダカデバネズミではなくそいつのほうです」と。

 田中氏の解説によれば、本書のテーマは主に現代における「生きづらさ」とのことで、社会学や政治学、宗教に自己啓発といった様々なものに蔓延るバカについて中田氏がイスラームの視点から語っている。私自身はキリスト教徒で、同じ神を信仰しているはずなのに、こうも価値観が違うものかと考えさせられた。とはいえ本書は、神を自分の親や職場の上司、あるいは尊敬する人などに置き換えれば、それほど宗教臭くはないし、バカバカ云われているうちに感覚がマヒしてきて、自分がバカの側にいると思うと安心感すら抱いてしまいそうになる。

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 他の種類のバカには理解力不足というのがあって、中田氏は「自分をヘビだと思っているミミズ」にたとえている。コミュニケーション・ツールであり、承認欲求を満たす場でもあるSNSの一つツイッターでの議論は無意味。言葉が通じても「話すことはできる」だけで「話せばわかる」とは限らず、分からないといって相手をののしったり言い争いを続けたりすること自体が愚かと中田氏は断じている。

 では、バカは良くないのかといえばそれも違う。最もいけないのは、賢い人間なんて一握りしかいないのだから、民主主義ともなると「バカがバカの代表を選んでバカの意見が政治に反映されるようになる」という現実を認識しなければならないのに、自分なら世の中を良くできると勘違いしてしまう輩である。そのため中田氏は、自分を特別な存在と錯覚させる「世界に一つだけの花」は、バカを不幸に追い込むとさえ云う。本書で『君たちはどう生きるか』を「呪いの書」とやり玉に挙げているのも、第二次世界大戦以前の時代背景の中でこそ成立していた作品を、当時に比べれば自分らしく生きることに肯定的な現代においてありがたがるのは、バカどころか「ダメ」だからだ。

 それこそ本当に自由な生き方を標榜するのであれば言語も自由なはずだが、誰もが自由な言語を使うと意思の疎通さえ困難となり、それを維持しようとするのは不幸ですらある。中田氏の云う「あなたが不幸なのはバカだから」というのは、自己の制約を認めることなしに他者と比べ、優劣を判断するさいに外部からの情報に委ねてしまうことなのだろう。もっとも、中田氏がキリスト教の教義について「聖書がいい加減で客観性に欠けるので、何を守ればいいかが曖昧です」と言い放つのは、まったくもってそのとおりだから余計に腹が立つ。事実を認めるのには、バカでなければならないんである。

文=清水銀嶺