戦乱の陰で日本の民衆は「意外にもたくましかった」!? 応仁の乱、大坂の陣、禁門の変…民衆目線から戦乱を見たら

社会

公開日:2018/9/7

『戦乱と民衆(講談社現代新書)』(磯田道史、倉本一宏、フレデリック・クレインス、呉座勇一、共著/講談社)

 今年3月、シリアに住む10歳と8歳の幼い姉妹がTwitterを使い、内戦下に暮らす自分たちの日々が、いかに恐怖に満ちたものかを世界に向けて発信し、世界中の関心を集めた。

 このように、戦乱の陰ではいつの時代も、多くの民衆たちがサバイバルを強いられている。しかし、時代を遡れば遡るほど、それを知る史料は乏しくなり、民衆たちのリアルを知ることは難しくなるようだ。

『戦乱と民衆(講談社現代新書)』(磯田道史、倉本一宏、フレデリック・クレインス、呉座勇一、共著/講談社)は、「古代から明治維新の頃までの、日本の戦乱における民衆たちのリアル」を描こうとする、画期的なシンポジウムの内容をまとめた一冊だ。

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 2017年10月28日に開催された「日本史の戦乱と民衆」(主催:国際日本文化研究センター)での4名(著者)の講演、公開座談会に加え、後日、メンバーを増やして行われた非公開座談会の内容も収録されている。

 古代史を専門とする倉本一宏氏は、倭国が朝鮮半島へと出兵し大敗を喫した「白村江(研究者たちは「はくそんこう」と読むと著者は解説)の戦」(663年10月)をテーマに、農民兵や防人(=農民)のリアルを伝えている。古代ともなると特に民衆を知る史料は乏しいらしく、座談会で倉本氏が、「(他の時代を担当した)皆さんにはいろいろと史料があってうらやましい」と、こぼす一幕もあった。

 本書の読みどころのひとつは、史料の限られた難題に対して、各研究家たちがどうチャレンジするのか、そのあたりの妙が味わえることである。

●室町時代に登場した反社会集団「足軽」とは?

「応仁の乱と足軽」という講演タイトルで登場するのは、日本中世史を専門とする呉座勇一氏だ。1980年生まれの呉座氏は、『応仁の乱』(中央公論新社)、『陰謀の中世史』(KADOKAWA)などのベストセラーを持つ作家でもあり、多くの歴史ファンが注目する、若き人気歴史研究家のひとりである。

 呉座氏はまず、室町時代に起こった「応仁の乱」(1467年から1477年まで続いた)で初めて登場した「足軽」という簡易武装の集団に着目する。ちなみに足軽は武士階級ではなく、報酬さえ期待できない民兵、つまり民衆の一部である。

 そして僧侶が記した日記『碧山(へきざん)日録』をはじめ、日記史料などを中心に、足軽像を浮き彫りにしていく。

 その結果わかってくるのは、足軽が「合戦の場で活躍する勇猛な歩兵部隊」であり、「戦乱に乗じて寺社や公家屋敷から白昼強盗を行う窃盗団」でもあったという二面性だ。

 そしてさらに、当時の民衆運動である「土一揆」(主に高利貸し対する蜂起)と応仁の乱・足軽の関係性を分析することで、「一揆を主導していたのは足軽たちである」と呉座氏は結論付けている。

 呉座氏は当時の「土一揆」のリアルも伝えている。一揆には、圧政に苦しむ庶民の怒りの爆発、というイメージがある。しかし中には、強盗目的で足軽たちが民衆に一揆を呼びかけ、まったく借金と関係ない窃盗集団までもが便乗して行われた一揆もあったという。つまり足軽とは、君主に忠実な民衆を装った反社会勢力でもあったのだ。

 呉座氏の研究発表を読むと、戦乱が起これば民衆は逃げ惑うばかりではなく、中には私腹を肥やす好機と捉えて暴れまくった人たちもいたことがわかる。

 日欧交流史を専門とするクレインス氏は、徳川と豊臣の最後の戦いである「大坂の陣」(1614~15年)をテーマに、当時、在坂していたオランダ商人とイエズス会士たちが書き残した文献をもとに、当時の大坂城下の人々の様子を活写している。

 その詳細は本書に委ねるが、この発表もじつに興味深い。例えば小ネタだが、外国人に不慣れな当時の民衆は、数少ない在日西洋人にどんな反応を見せたのか。

 本書に登場するオランダ人によれば、「子どもと会うと大声を出して騒ぐため、外出できずに困っていた」という。当時の民衆の様子が手に取るようにわかるワンシーンだ。

●民衆たちの目線から見た明治維新の戦乱とは?

 講演の部(本書第1部)の最後に登壇するのが、NHK大河ドラマ『西郷どん』の時代考証も担当した、日本近世・近代史が専門の磯田道史氏(1970年生まれ)だ。呉座氏と並び、多くのファンを持つ若き歴史研究家である。

 磯田氏のテーマは「禁門の変──民衆たちの明治維新」である。

「禁門の変」は1864年8月20日に京都で起きた、長州藩vs.会津藩・薩摩藩連合の武力衝突。大砲を含む兵器の破壊力の増強もあり、京都市中の約3万戸が焼失するなど、太平の世を揺るがす大事件だった。

 磯田氏は、「こういった事件を調べるとき、歴史学では同時代史料として日記を非常に重視します」と語り、京都で米商と質屋を営んでいた人物の日記や『京都日出新聞』(現在の京都新聞)が掲載した明治時代の記事などを引きながら、渦中の民衆たちの様子を描き出していく。

 すると、磯田氏が「平和ボケ」と指摘するように、「戦乱が物珍しいため、逃げるどころか見物に勤しむ民衆たち」や、屋敷の警備など戦乱特需のアルバイトにありつき「稼ぐことに夢中になる民衆」も多かったそうだ。

 また、こんな記述もある。死体となった武士たちの衣服から金品を強奪していたのは、相手方の武士ではなく、死体を運ぶ清掃人である民衆たちだった。中にはその後、盗んだ金を元手に商人としてひと財産築いたつわものもいたそうだ。

 本書を読むと、戦乱の陰で、意外にもたくましくサバイバルする民衆たちの様子が伝わってくる。しかし本書によれば、戦勝者たちが略奪や虐殺を行う「乱取り」は、平安時代中期の「平将門の乱」以降、日本の戦乱では常態化していたそうだ。

 つまり、史料を引くまでもなく、多くの民衆が戦乱の犠牲になってきたことも、間違いのない一面だ。

 いずれにせよ本書は、民衆目線での歴史が学べる希少な機会を提供してくれる。本書を手掛かりにして、私たちの名もなき遠い祖先たちのたくましさや苦悩に、思いを馳せてみてはいかがだろう。

文=町田光