ほとんど前触れもなく始まった「うつ病」…すべてを取り戻すため、闘い抜いたプロ棋士の記録

暮らし

2018/9/8

『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』(先崎学/文藝春秋)

「心の病気」といわれる病は、実際には脳の病気である。一見元気そうな人がある日、突然脳梗塞や心臓病で倒れることがあるように、誰でもかかってしまう可能性があるものなのだ。

 2017年7月、藤井フィーバーで棋界が盛り上がる中、1人の人気プロ棋士が突然休場届を出し、公式戦の場から姿を消した。

 先崎学九段。羽生世代の1人として長年棋界に貢献し、またエッセイストや漫画『3月のライオン』の監修者としても活躍する才人である。

 プロ棋士にとって大切な順位戦のさなか、彼が突如として戦線離脱を強いられた理由。それが、うつ病だった。

『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』(先崎学/文藝春秋)は、その彼が発症から回復期に至るまでの顛末を、患者の立場から克明につづった手記である。

 著者のうつ病は、ほとんど何の前触れもなく始まった。不正ソフト使用疑惑事件への対応や監修漫画の映画化によって多忙を極める中、ある日目が覚めたらうつ病になっていたという具合。

 その前日はインド料理店で自分の誕生日を家族と楽しく祝っていたというのに。

 翌日から著者の日常は一変する。普通に起きたはずなのに何だか頭が重く、疲れが取れない。数日が過ぎても症状は治るどころか悪化していく。そのうち不眠、気力の低下といった自覚症状も現れ始め、本格的に「様子がおかしい」と実感するに至る。

 幸いなことに著者の兄は精神科医であり、おかげで異変が起きてから対応までのスピードは速く、しかも的確だった。

 アドバイスに従い、受診した医師による診断結果はうつ病。それも、1ヶ月の入院を余儀なくされるほどの重症であった。

 病状が最も重かった入院直前の時期、著者は不眠や猛烈な不安感といった症状の他に希死念慮にも悩まされたという。

 電車に飛び込む、高いところから飛び降りるといった死のイメージが絶えず頭に浮かぶため、怖くて電車のホームにも立てない。

 当時のことを振り返り、著者は次のように書く。

今でもあの吸い込まれそうな感覚は、まざまざと思い出すことができる。それは、生理的にごく自然に出た感情だった。健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。苦しみから逃げるためではない(少しあるかもしれない)。脳からの信号のようなもので発作的に実行に移すのではないだろうか。

 その最悪のときから、著者がこの文章を書くまでにわずか半年ほどしか経過していない。いまだ生々しい記憶を著者はあくまでも冷静に分析する。

 当事者でありながら、病気がもたらした思考や身体の変化を、客観的な視点を忘れず淡々と記録していくことは簡単なようで難しい。もともと優れた書き手である著者だからこそ、書けた文章がここにある。

 しかし、それ以上に印象的なのが著者の将棋にかける執念だ。

 うつ病になると思考力や集中力が極端に低下する。当然、将棋のような頭脳労働に取り組むことは困難だ。プロレベルともなればなおさらである。それでも、自分の人生そのものともいえる将棋を取り戻す。その一念で、凄まじいリハビリ(将棋漬けの日々)に挑んでいく。

 それこそ最初は簡単な詰将棋を解くのがやっとの状態から少しずつ歩みを進め、ついにプロ棋士として復帰の道筋が見えるところまで。同じ病気に悩む人にとっては、とても勇気づけられる話である。

 その一方で、時には自分の置かれた状況にいらだち、腐る姿をカッコつけず、どこかユーモアのある文体で書いているのも素敵だ。こうしたところが著者の人間的な魅力であり、闘病を支えてくれる多くの仲間に恵まれた理由だろう。

 それでも、うつという病気ならではの偏見ゆえか。本書ではあまり触れられていないものの、誰かに不愉快な目に遭わされることもあったようだ。

 心の病というレッテルから、うつをはじめとする精神疾患にはいまだ理不尽な偏見がつきまとう。このような状況の中で、著者のような有名人がうつのリアルな実態を記録し、発表したことには大きな意味があるのではないか。

 この病気は、現代人にとってもっとも身近な病の1つである。うつの当事者やその家族だけではなく、広く読まれるべき1冊だ。

文=紀村真利