『羊と鋼の森』を深く知るカギは『静かな雨』にある? 宮下奈都作品に共通する、繊細な世界観とは

文芸・カルチャー

2018/9/13

『羊と鋼の森』(宮下奈都/文藝春秋)

 やさしい眼差しで人の営みを見つめ、心の機微を丁寧な筆致であぶり出す作家・宮下奈都さん。彼女の作品は多くの書店員に愛されており、サイン会を開けば、遠方からわざわざ足を運ぶ人も少なくないという。そんな宮下さんの代表作ともいえるのが、2015年に発売された『羊と鋼の森』(文藝春秋)だ。

 本作は、紀伊國屋書店による〈キノベス! 2016〉第1位、『王様のブランチ』によるブランチブックアワード2015大賞、第154回直木三十五賞の候補作にも選出され、2016年には第13回本屋大賞の大賞を受賞した。見事、作家・宮下奈都の代名詞となったのだ。

 発売から3年が経ってもその人気は衰えず、今年に入ってからは、人気若手俳優の山崎賢人主演で実写映画化もされた。日本最大級の書評サイト「読書メーター」には、いまだに読者からの熱いレビューが寄せられており、その勢いは留まることを知らないと言えるだろう。

 さて、本作がどうしてこんなにも大勢の心を掴むのか。それはやはり冒頭でも言及した通り、宮下さんが誰の人生にも通ずるような“心の動き”を丁寧に描いているからに他ならない。

 この物語は、とあるひとりの「ピアノ調律師」を主人公に、その成長と挫折を主軸に据えたものだ。主人公である外村が飛び込んだ調律師の世界。それは決して甘い世界ではない。ピアノが置かれている状況に応じて、その調律の仕方は微妙に異なる。目の前にあるピアノになにをすべきなのか。それを読み取り、最善を尽くす。それはまるで、心の声に耳を傾けることに似ているかもしれない。

 そんな繊細な仕事に、外村は苦戦し、ときには自分の力不足を痛感する。そこで出会うのが、ともにピアノを愛する双子の姉妹。しかし、その出会いによって、外村は人生における大切なことへと考えを巡らせていくことになる。ラストシーンで読者を待ち受けているのは、心を震わせるような感動だ。

 本作は決して派手な物語ではない。むしろ静謐で、そのストーリー展開は波紋のようにゆっくりと広がっていく。この独特の読後感は、宮下さんの作品ならではのもの。そしてそれは、宮下さんが作家デビューするきっかけとなった文學界新人賞佳作入選作『静かな雨』(文藝春秋)にも通ずる、とても不思議な感覚である。

 この『静かな雨』は〈行助〉と〈こよみ〉の純愛を描いた、心温まる物語。こよみが患ってしまう「記憶障害」がストーリーのフックになっており、誰かを愛おしいと想う気持ちの美しさが行間に滲んでいる。この作品に漂う、どこか夢と現実を行き来するかのような読後感は、他に類を見ないだろう。そう、宮下さんはデビュー当時からオリジナルの世界観を持つ作家だったのだ。

 また、宮下作品を語る上で外せない「美しい比喩表現」も、実はデビューの頃から光っていたことがわかる。季節や温度感、ときには目に見えない空気感さえも鮮烈に描ききる文章力。『静かな雨』と『羊と鋼の森』を読み比べてみると、その感性の鋭さが初期の頃から備わっていたことに気づくはずだ。

 そんな『羊と鋼の森』は、このたび開催されることになった「第3回レビュアー大賞」の課題図書にも選ばれている。このイベントは、「読書メーター」と『ダ・ヴィンチ』がタッグを組んで主催するもの。昨年のイベントでは約1500件もの応募が集まり、どれも渾身のレビューだったという。

 もしも『羊と鋼の森』でレビューを応募してみようと思っている読書好きは、ぜひ過去の作品も読み直してもらいたい。宮下さんの生み出す世界観がどのように生まれたのかを知ることができれば、きっとレビューへの熱量も上がるはずだ。

文=五十嵐 大