日本の自然現象を観測し続ける技術官庁・気象庁の140年のドラマ!

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更新日:2020/8/31

『気象庁物語』(古川武彦/中央公論新社)

 地震、台風、ゲリラ豪雨、噴火、酷暑……。自然災害が猛威を振るい続ける日本。ここ最近は、天気予報アプリや防災関連グッズなど、気象への関心が高まっている。いかに早く警戒情報や交通機関などの情報を仕入れ、自分の安心安全を確保するか。そういった意識が私たちの間で当たり前になりつつある。

 そしてその安心安全を支えるべく、日本の自然を24時間観測し全国に情報を提供し続けているのが、気象庁だ。国土交通省の外局であるこの機関は、天気予報、地震、津波、火山、海洋、さらには航空機の安全運航のために特化した気象、CO2やオゾン層の監視に至るまで、ほぼすべての自然現象を観測し続ける技術官庁だ。

 職員のほとんどが技術屋で占められるので、昨今の不甲斐ない中央官庁とは一線を画しており、今後もぜひ日本のために頑張り続けてほしい。彼らのためなら喜んで税金を払える。

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 そんな気象庁だが、その歴史を詳しく知る人は少ないだろう。『気象庁物語』(古川武彦/中央公論新社)は、気象庁が現在に至るまでの歴史をひもといた一冊だ。本書よりその成り立ちをほんの少しだけのぞいてみよう。

■東京気象台が発足した明治時代の気象事情

 現在の気象庁は、明治8年にわずか10人足らずで発足した東京気象台が発展した機関だ。そもそもこの東京気象台の発足は、鉄道敷設のために来日したイギリス人のジョネイルという人物が、明治政府に気象観測の必要性を訴えたことがきっかけだった。

 気象台を設けることを決定した明治政府は、観測機器の調達をイギリスの気象台に依頼。水銀晴雨計・乾湿球寒暖計・雨量計などを輸入した。本書を読む限り、現在の日本の気象科学の始まりはイギリスのおかげということになる。

 それから十数年後の1890年代になると、気象台の技術が発達し全国に向けた天気予報が確立され始める。ところが現在に比べると気象の知見は乏しいため、天気予報の的中率が非常に低く、また低気圧や台風などの仕組みが解明されておらず、温暖前線や寒冷前線などの概念もなかったそうだ。

 気象予報は近代科学の結晶。本書を読むと現在の精度の天気予報のありがたみを感じる。

■日本の気象技術を発展させた2つの契機

 本書によると、気象台が大きく発展した契機がいくつかある。ここではその2つをご紹介しよう。まずは1934年に日本を襲った未曽有の自然災害だ。

 この年は、東北地方が春先から冷涼な天気が続き大凶作をもたらし、関東地方が干ばつに見舞われ田植えができず、秋には関西地方を中心に室戸台風が襲来した。特に室戸台風の被害がすさまじく、死者約2700名、行方不明者約300名に達し、気象台は抜本的な気象業務の見直しを迫られた。

 台風襲来の約1ヶ月後には気象協議会が開かれ、「気象知識の周知方法」「暴風警報の利用策」「気象予報警戒規程の改正」などが審議された。結果、現在の注意報にあたる「気象特報」が新設されることになったのだ。

 そしてもう1つが、日中戦争だ。それまでの戦争では気象情報はあまり重視されなかった。しかし日中戦争から航空機による作戦が展開されるようになり、どうしても地上および上空の気象情報が不可欠になった。

 そのため気象技術を発展させるべく、全国に散らばる気象観測所を県営から国営に移管し、組織と設備の拡充強化、気象通信と気象無線放送施設の整備など、戦争に勝つため様々な刷新が行われた。

 本書によると、皮肉にもここで行われた施策は今日に見る気象庁の骨格を成しているという。科学技術は戦争によって発展するといわれるが、日本の気象科学の発展も戦争が1つの契機になっていたようだ。

 この他、時代の流れと共に発展し続けてきた気象庁を紹介する本書。著者の古川武彦氏は元気象庁職員なので、その歴史を本書で詳細にひもといている。若干文章が難しいので、本書の内容が気になる方はその点だけ気をつけよう。

 ここ最近の日本は、特に大災害が頻発している。地震や台風だけでなく、街を飲み込む災害級の大雨、人々を熱中症に追い込む酷暑など、日本の気候がガラッと変わりつつあるかもしれない。

 残念ながら人間は自然に勝てない。ならば、身を守るべく気象情報をいち早くキャッチし、災害に備えることが重要になる。気象庁が管理するサイトでは、様々な災害情報が随時発表されている。備えあれば患いなし。自分の命を守るべく、日夜自然現象と闘い続ける気象庁が発表する情報を、常にチェックしておこう。

文=いのうえゆきひろ