なにもできない夫が、妻を亡くしたら……大切なのは「ふたりのルール」を作っておくこと

恋愛・結婚

公開日:2018/10/9

『なにもできない夫が、妻を亡くしたら』(野村克也/PHP研究所)

 今でこそ夫婦共働きや家事の折半が増えて来たが、ひと昔前までは家の事は妻が担うのが当たり前だった。そのため、家事の全てを妻に任せて来た結果、万が一妻に先立たれたときに右往左往する羽目になることもありえない話ではない。『なにもできない夫が、妻を亡くしたら』(野村克也/PHP研究所)は、まさにその状況に陥った野村克也氏が同じ状況の人達に向けて「どうするべきか」を紹介した本だ。

 妻に先立たれたときのことを考えると、夫自身も普段から家事をこなし、スキルを身に着けておくのが一番だ。しかし、時間的にそれが難しい人も居るし、そもそも家事に向いていない性質の人も居る。そういう人にもできる対策とはなんだろうか。

 本書曰く、まず大事なのは妻がまだ存命のうちに「2人のルール」を決めておくことだという。著者の場合は、以下のことを家訓として定めた。

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「死ぬまで働くこと」「このくらいでいいか、と思わない」「自分でできるうちは自分で何とかする」「我慢をしない」「どんなときでも『大丈夫』の心意気をもつこと」

 こうしてみると、家訓といってもそう大袈裟なことではないのがわかる。「死ぬまで働くこと」を除けば、どれも対人関係や自分の精神衛生を保つ基本のことだ。しかし、基本だが難しいことも多い。たとえば「自分でできるうちは自分で何とかする」のは、当たり前のようでなかなかできない。すぐそこに頼れる人が居ると、人間は無意識にその人に頼ろうとするものだ。それが当たり前になってくると、頼ることは癖になり、やがて「やってもらって当たり前」という甘えになってしまう。これだと、その人がいなくなったときに右往左往する羽目になるのは目に見えているし、何より相手に負担をかけるばかりだ。

「甘えることは信頼の証」という意見もあるし、それももっともなのだが、やはり程度というものはあるし、礼儀の問題もある。甘えを信頼の証としたいなら、甘えた後は礼を言った方がいい。また、甘えるとは相手に寄りかかることだ。たまにならいいが、頻度が高ければ寄りかかられる相手は疲れてしまう。世間の夫婦の悩みも、多くはここに起因している。「夫婦だから」、他人や友人には要求できないことまで求めることができる。それはすてきなことだろう。しかし「夫婦だから」やってもらうのが当たり前、甘えさせてくれるのが当たり前となっていき、そのうちお互いへの敬意や感謝がなくなるともうダメだ。離別・死別で甘えられる相手をなくしたとき、残された側は何もできなくなってしまう。それを避けるためには、普段から「自分でできること」を探して行動に移していくことが大事だ。要は「甘えられる相手ありき」の生活を少しずつでも変えていくということである。

 また、孤独に耐えようとしないことも推している心掛けのひとつだ。孤独を恐れない、孤独を楽しむというライフスタイルも現代ではめずらしくなくなった。しかし、やはりそういったライフスタイルに順応できない人は居る。孤独を楽しめる人というのは、それができるから楽しめているのである。たとえば、人と話すことでストレスを解消するタイプの人もいるし、誰かの気配を感じることで安心する人も居る。こういう人たちにとっては、孤独は耐えがたいものだ。自分がそういうタイプだったときは、無理に孤独に慣れようとしなくて良い、と著者はいう。孤独が嫌いならば、自分の子どもに頼るなり、人と関わる趣味を持つなり何なりして、是が非でも誰かとつながればいいのだ。

 自分ではなにもできない、1人には耐えられないという人も世の中にはいる。そういう人が1人になってしまったときは、無理をしてでも自分でできることを増やしたり、何が何でも誰かと関われる場所を作っていったりしていくしかない。「この人が居れば大丈夫」という相手がいるのはとても恵まれていることだが、万が一その人が居なくなってしまったときに備えるためにはどうすればいいか。たまには考えてみるのもいいかもしれない。

文=柚兎