「少し肥りましたね」――文豪が送ったラブレターを覗き見してみたら…

恋愛・結婚

公開日:2018/10/11

『文豪たちのラブレター』(別冊宝島編集部/宝島社)

 昨今ではメールやLINEで告白することが多く、「ラブレター」というのも死語になりつつあるようだ。書き損じて修正液を使うのは恥ずかしいから、同じ文言を何度も何度も書き直していた私としては、なんとも味気無く思えてしまう。まぁその結果は散々なものであったが、書いているときのことも含めて想い出ではある。

 まだ恋文が懸想文とも呼ばれていた時代、文章で多くの人々を魅了した文豪の、たった一人の相手に送ったラブレターを集めた『文豪たちのラブレター』(別冊宝島編集部/宝島社)を読むのは秘め事を覗き見るようで、なんともこそばゆい。

 文豪がその全精力を傾けたであろうラブレターは、果たしてどんなものであるのか。本書は、相手との馴れ初めや周囲の人との相関図などを示したうえで、一部は原文もあるものの基本は手紙の現代語訳を載せており、作品を読んだことの無い文豪のものでも親しみやすい。

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 養父母に育てられた芥川龍之介が、結婚相手として薦められた八歳年下の塚本文(つかもとふみ)に宛てた手紙は、「少し見ないうちに又背が高くなりましたね。そして少し肥りましたね。」という書き出しで驚いた。当時はふくよかなことが健康の証だったようだから、それで良いのか。いよいよプロポーズするときの手紙では、「うちには父、母、叔母と、としよりが三人います。それでよければ来て下さい」と、これまた素直な気持ちが表れていた。

 独特なのが国木田独歩で、「信子よ。起(た)てよ。奮(ふる)えよ。決死せよ。」と書いてあり、なにやら演説のようである。相手の佐々城信子(ささきのぶこ)の母親から結婚を猛反対されたそうで、母親は信子を家に閉じ込めるほどだったことが影響しているのかもしれない。そこまで熱烈に愛したのにもかかわらず、彼女との結婚生活はわずか5ヶ月だったという。

 本書の中で唯一の女性作家である樋口一葉もまた、十二歳年上で師でもあった半井桃水(なからとうすい)への恋慕の情は、男女の別に厳しかった明治時代において周囲から厳しい目を向けられ苦悩したようだ。「男女の別さえなければ、このような嫌なことを言われず、風流な遊びもできる」のに、と師弟関係さえ断った無念さをしたためている。

 一方、浮いた話の多かった太宰治は、妻に疑われないようにと愛人の太田静子(おおたしずこ)への手紙で、「差出人の名前をかえましょう」と偽名を使うことを提案していて、ゲスの極みの漢であった。

 反対に、気むずかしく堅物で知られる夏目漱石は、イギリス留学中に妻の鏡子(きょうこ)との二千五百通を超える書簡の中で、たった一通のみ「恋しい」と書いたという。妻は、「今迄にないめずらしい事と驚いて居ます」としながらも、「私も(中略)思い続けていることは負けないつもりです」と返したそうで微笑ましい。

 個人的に楽しみにしていたのは、自分の都合で女性を捨てておきながら、それを美しい想い出の物語にしたとも云われる『舞姫』の森鷗外なのだけれど、登場人物のエリスと目されるドイツ人の女性との手紙は、鷗外自身の手により処分されて現存していないそうで残念な限り。それでも、日露戦争に従軍していた鷗外が妻の志(し)げに送った手紙を読むと、「只今手紙が来たが日付がない。(中略)手紙には日づけをするものだよ。」と説教から始まっているのが、妙におかしくて笑ってしまった。

 実は私は、若い頃に奥さんからもらったラブレターをとってあり、夫婦喧嘩をすると持ち出す。仲直りするためではなく、相手の戦意喪失を狙っての嫌がらせに使うのだ。してみると、こうして多くの人にラブレターを読まれてしまう文豪たちが少し気の毒なような気がしてきた。私が奥さんと出逢う前にバラまいたラブレターが、一つ残らず処分されていることを願うばかりである。

文=清水銀嶺