人生を変える「低み」とは? ありのままの自分を受け入れられる「最強の『自己低発』」

暮らし

公開日:2018/10/16

『ライムスター宇多丸も唸った人生を変える最強の「自己低発」 低み』(TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」&「アフター6ジャンクション」:編集/イースト・プレス)

「低み」とはいったいどんな人のことを指すのか。

 インスタ映えするカフェにわざわざ出向いたり、世界中から探しぬいたお気に入りのものに囲まれた、「ていねいな暮らし」をしたりするリア充とは程遠い、終始テンション低め、何をするのもめんどくさい人たちのことだろうと予想していた。だが、全く違った。

節約のために納豆のネバネバでひげ剃りをする者。「もったいないから」の一点でカップラーメンの残り汁をシェアする先輩と後輩。世間体などどこふく風と、日高屋で婚姻届を書くカップル。グルグルのガムテープで補修した靴を足に「巻き」続ける大学時代の友人……。

 衛生観念や常識をいとも簡単に飛び越え、当人だけの最適解に真っすぐ突き進む。

 そんな姿をこの本では「低み」と呼んでいる。

advertisement

『ライムスター宇多丸も唸った人生を変える最強の「自己低発」 低み』(TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」&「アフター6ジャンクション」:編集/イースト・プレス)はTBSラジオほかで放送されていた『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』で2017年1月から約1年間続いた「低み」というコーナーで紹介した投稿と、ライムスターの宇多丸氏と構成作家の古川耕氏が話したコメントを編集し、まとめたものになっている。その内容ときたら、とにかくどれもこれもくだらなく低い。たとえば

 銭湯に行く際にタオルを持参せず、体を洗う際は体毛が濃いためよく泡立つからいいものの、入浴後は獣のように体を震わせ「ある程度の水分」を切ってから脱衣所に行き、扇風機の前で仁王立ちするM君

 小学生の頃、給食の牛乳の余りをもらって帰る途中で転び、ランドセル内にこぼれた牛乳を角度を変えながら飲みはじめ「これで身長が伸びればなんてことはない。これ、牛革だし」とドヤ顔で意味不明な発言をしたS君

 給食に出た白玉団子を3時間も飲み込まず、放課後まで口のどこかにキープし続け、たまに舌の上に出しては感触を楽しんでいたところ投稿者に肩を叩かれて飲み込んでしまい、怒って投稿者に殴りかかってきた沼田君

 食べ歩き中に手についたメンチの油を、「トリートメントになる」と言って髪の毛になすりつけた学生時代の彼女

 ……こんなどうしようもない人たちのエピソードが活字となり、66も並んでいるのである。だがあまりにもセコかったり、「オエッ」と思ってしまったりする非衛生的な低みも散見される中、「おぬし、やるな……」と思ってしまうものも紹介されている。そのうちのひとつが、沖縄県に住む男性会社員の低みだ。

 彼は無精な性分で洗濯物をため込みがちだが、国道58号線(沖縄県内を横断する国道)は「僕にとってでっかいコインランドリー」なので、洗っただけで乾かしていない衣服を着て、バイクで出勤している。25分の通勤時間中にバイクで南国の日差しを浴びれば、「会社に到着するころには、許せるくらいまでには乾いている」からだ。直接日差しと風を受けない靴下は手袋のように両手に装着し、パンツはミラーにかけて乾かす。そのためパンツは「たなびいた時に映えるカラーリングか」で選んでいて、雨の日は「『雨に濡れたから濡れているのだ』という大義名分があるから大丈夫」なのだそうだ。

 何が大丈夫なのかわからないが、ここまで来るとパンツをたなびかせて疾走する彼を見てみたい気持ちに駆られる。そう、宇多丸さんの言葉を借りれば低みとは、

好き勝手に低いことをしだすと、すぐにマナー違反だったり、他人の迷惑になっちゃったりするじゃん。アウトとセーフが完全に重なり合ってできるボーダーラインこそが低みってことなんだと思うんですよ。

「低み三原則」をつくろうよ。まずは「法律に反してないこと」。そして、「自己完結していること」。というか、「自己完結していること」だけでかなり言い表せてるよね。でもそうすると、低みならではのイヤ~な感じというか、ダメ感が表現できてないなぁ……「見る人が見ればデリカシー不足、もしくは衛生観念に反している行為」とかかな?

 ということなのだ。セコいだけ、汚いだけでは決して「低み」とは言えない。他人に強要せず、他人からも「いいんじゃない? オレは絶対やらないけど」でスルーされる。その証拠に沼田君もメンチの彼女も沖縄の会社員も、決して他人に強要していない。そして「な? 俺って低いだろ?」という自意識を見せつけてもいない。あくまでその人の人生では当たり前なのに、他人から見たら「低っ!」と思ってしまうものこそが、低みなのだろう。

 ちなみに自分自身も日常の習慣としてやっているもののうち2つが、低み認定されていた。低いなんて意識はみじんもなく、それどころか「皆もやってるよね?」と思っていただけに心外である。しかし自分の行為が低いのだと認識して以来、インスタなどがどうでもよくなった。背伸びしたアイテムを探し求めることがバカバカしくなった。

 低みを知れば、ありのままの自分を受け入れることができるようになる。まさにタイトルにあるとおり、低みとは

「人生を変える最強の自己低発」

なのだ。

文=霧隠 彩子