夫の浮気を見過ごす代わりにフランス料理店を開業する妻――。90年代に連載された幻の不倫小説『みずうみの妻たち』

文芸・カルチャー

公開日:2018/10/13



 長年連れ添った夫が不倫して「はいそうですか」とすぐに離婚できる妻は一体どのくらいいるのだろうか? 少なくとも筆者は無理だ。きっと様々な感情が交錯するだろうし、周囲の視線や手続きの煩雑さ、金銭面を考えると「離婚しない」選択をする可能性も高い。だが、夫に愛人がいるという事実は許しがたい。心にぽっかりと空いた穴はどうすればいいのだろう。

 林真理子氏の『みずうみの妻たち 上・下(角川文庫)』(KADOKAWA)は、結婚10年目の夫に浮気され、開き直られた挙句、別れる道を選ばずに、フランス料理のレストランの開店を決意した美しい妻の物語である。

 本書は、90年代に『湖のある街』のタイトルで新聞連載された幻の不倫小説が、大幅に加筆され、初めて書籍化されたもの。

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 地方住みゆえの息苦しさや、簡単に離婚できない事情に共感すると共に、世間知らずではあるものの、したたかに生き抜く女性の強さが印象的だ。

 小説の舞台は湖のある城下町。主人公の朝子は、老舗の菓子屋「香泉堂」に嫁いだ34歳の社長婦人だ。

 彼女は裕福な夫を持つ女たちが所属する「みずうみ会」という親睦団体に所属している。

 そんなある日、造り酒屋の若奥さんである文恵から、朝子の夫である哲生が「空間プロデューサー」なる職業の女性と、東京で浮気している事実を知らされる。

 夫の浮気は初めてではないものの、水商売の女性以外と関係を持ったことに危機感を抱いた朝子。哲生に詰め寄るのだが、バレた途端に居直り、旅行に連れてってやるから口を挟むなと告げられてしまう。

 哲生は、菓子店の経営は専務に全てを任せ、自身は東京に和食屋を開き、月の半分は上京していた。

 朝子は別れも考えるが、医者のひとり娘として育てられ、働くことのないまま社長婦人に納まった自分を雇う場所などないことに気づく。

 また、田舎町のため「夫の浮気は寛大な心で許せ」という価値観が蔓延る現状や、同情と好奇心が入り混じった同性の視線が注がれることを予測し、妥協点として「フランス料理のレストラン」を開くことを決意するのである――。

 朝子のフランス料理店の開業計画は、実に豪快でしたたかだ。

 老舗の社長婦人という立場を存分に活かし、銀行から何千万ものお金を借りる。また、夫が所有する一等地のビルの2階を店にすると宣言。

 渋る夫には「そのくらいのことをしてくれてもいいと思うわ。そうでしょう」の一言で黙らせる。

 そして、金と時間が莫大にかかる建築家に設計を依頼し、打ち合わせの際は高額のスーツを身にまとい、東京へ出かけるのだ。

 遂には都会の匂いを漂わせた担当の建築家に恋をして、二人で箱根旅行に出かけるなど、甘美な時間を堪能しつつ、大胆に夢を叶えていく様は圧巻であった。

 結局、孤独と権力と自由を同時に持った女は強いのだ。

 夫の愛人と遭遇しても、見過ごす代わりに「花が絶対に造花じゃなくて、甘ったるいワインなんて置いてないような」クラシカルでいてモダンなフランス料理店を作り上げ、時折、お気に入りの場所で静かに夕暮れの湖をみつめる彼女は、なんて優雅で美しいのだろうと感じた。

 朝子は、どんな絶望的な状況に置かれようと、声を荒らげず、冷静に状況を見極める賢さがある。お嬢様育ちゆえの気品とチャレンジ精神を自然と活かし、夢を実現しながら、夫に秘密の恋を同時進行することで、ますます魅惑的な女性へと変貌する。

 不倫小説ではあるが、まるで芸術作品のようなフランス料理の描写も美しく、のどやかな物語であった。大胆不敵で美しい妻の秘密の情事を、ぜひのぞいてみてほしい。

文=さゆ