ノワール小説の名手が描く愛犬との暮らし──ピュアな“家族”の姿に涙する!

文芸・カルチャー

公開日:2018/11/2

『ソウルメイト』(馳星周/集英社)

 2018年9月、環境省は、ペットの飼い主向け災害対策ガイドライン「災害、あなたとペットは大丈夫?」を公表した。公表日は、北海道胆振東部地震から1週間後。東日本大震災以降、ペットを受け入れる避難所も増えているとはいえ、依然困難は多いようだ。

 しかし、だからといって、ペットを飼うのをやめるという選択肢はありえない。ペットは、わたしたちが出会うべくして出会い、強い絆で結ばれた魂の伴侶──“ソウルメイト”なのだから。

 ノワール小説の名手、馳星周氏が書く『ソウルメイト』(集英社)には、ペットと人間の絆を生き生きと写し出す7つの短編が収録されている。登場するのは、著者自身がともに暮らしているというバーニーズ・マウンテン・ドッグなど個性豊かな7種の犬だ。さまざまな個性を持つのは、しかし犬たちだけではない。彼らと暮らす人間、本作の登場人物たちも、各々の事情を抱えている。

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 たとえば、東日本大震災で故郷に住む母を亡くした男。神田という名の彼は、母が可愛がっていた柴犬の風太を探して、原発周辺の警戒区域に足を踏み入れる。一匹の犬を保護するために、打ち込んできた仕事を休職し、動物保護のボランティア団体と行動をともにする神田。彼をそこまで駆り立てるのは、母と向き合うことを先延ばしにしてきたという罪悪感だった。

 ところが柴犬は、飼い主に絶対の忠誠を誓う犬だ。警戒区域内で再会した風太は、神田の救いの手には見向きもしない。すべてはもう遅かったのか。愕然とする神田だが、彼に一筋の光をもたらしたのもまた風太だった。爽やかなラストシーンでは、柴と母の絆から、母と息子の絆までもが感じられる。

 続く『陽だまりの天使たち ソウルメイトII』(集英社)では、さらに個性の強い面々が揃う。病魔に冒された少女と運命の出会いを果たすトイ・プードル。偏屈な小説家のもとへ盲導犬としてやってきたラブラドール・レトリーバー。すべてを失くし、命を絶とうとしていた男と巡り合うフレンチ・ブルドッグ。

 中でも印象的なのが、障がいを持つバセット・ハウンドのアンジュだ。

 主人公の亜紀と母は、ルカというバセットを飼っていた。そのルカが死に、泣き暮らしていた亜紀のもとに、母が新たなバセット、アンジュを連れてくる。アンジュは、生後すぐ母犬に噛まれ、顔が変形している醜い犬。脳にも損傷があり、普通の犬のように動くこともできない。思慮深くハンサムだったルカとは、似ても似つかない犬だ。

 ところがアンジュは、人の気持ちを汲む能力に長けていた。亜紀がルカとの別れを夢に見て嘆いていると、そっとそばに控えている。散歩に出れば、気難しい隣人がアンジュには優しい顔をする。誰彼かまわず、笑顔を振りまいて回るアンジュ。気がつけば亜紀の悲しみは癒え、ルカを失ったことで乱れていた母との関係にも、おだやかな調和が戻っていた。

 だが、アンジュがいくら微笑みの天使だとしても、脳や身体の不具合を持っていることは変わらない。亜紀はある日、痙攣の発作を起こしたアンジュに語りかける。

「だいじょうぶだよ、アンジュ。わたしがそばにいるから。ずっと一緒にいるから」
 尻尾がかすかに揺れた。アンジュの表情が少しずつ変わっていく。
 笑おうとしているのだ。
 そう思った瞬間、愛おしさに胸が押し潰されそうになった。
 醜く変形した顔も、小さな身体も、思うように動かない下肢も、そして痙攣の発作でさえ、アンジュにはどうでもいいことなのだ。可哀想だの憐れだの、そんなことを思うのは人間だけだ。
 アンジュは懸命に生きようとしているだけだ。生きて、愛する家族に囲まれて、それだけで笑うことのできる存在なのだ。

 思えばアンジュだけではない、犬はみんなそうだ。過去の傷にも、未来への憂慮にも囚われない。その瞬間をただ楽しもうと、精いっぱいに生きている──その純粋な魂が、わたしたち人間を癒すのだ。

 デビュー以来、アンダーグラウンドに生きる人間の心の機微を、鮮烈に描いてきた馳星周氏。闇に沈む真実を掴み出せる彼だからこそ、愛犬との暮らしの中からも、いっそう光るものをすくい上げる。

 ページを繰るたび、犬たちの愛らしい表情に微笑み、健気さに涙し、魂の清らかさに胸を打たれる。犬と暮らす人には深い共感を、そうでない人には憧れを呼び起こす。人間の心の奥深くへと潜っていこうとする著者。彼が新たな境地で見たものは、犬を迎えてより輝く“家族”の姿だったのだ。

文=三田ゆき