ネタバレ厳禁!驚くべき実験を含んだスコットランド発の最先端小説

文芸・カルチャー

公開日:2018/11/14

『両方になる』(アリ・スミス:著、木原善彦:訳/新潮社)

 15世紀のイタリアに暮らす画家・フランチェスコと、21世紀のイギリスで母を失った悲しみを抱える少女・ジョージ(ジョージア)。2人の脳内が時代を超えて触れ合う『両方になる』(アリ・スミス:著、木原善彦:訳/新潮社)には、ある秘密が隠されている。

 あとがきに、作者から決して書中で解説しないようにという指示が訳者にあったと書かれている。本記事は書中ではないものの、著者にできるだけ敬意を表しつつ、しかし読者の皆さんの興味を失わないようにその秘密について書いてみたい。

 フランチェスコの章は、15世紀に実在した画家フランチェスコ・デル・コッサの絵画「聖ルチア」に描かれている、不思議な目の挿絵から始まる。植物の茎に葉のようについている二つの目は、生きているのか死んでいるのかわからない。

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偉大なるアルベルティによると、私たちは死者の絵を描くとき手指の先、足の爪先という体の隅々まで死んでいる状態を描かなければいけない そしてそのとき、死者の体は生きていると同時に死んでいる

 そして、21世紀。ジョージアの章は監視カメラの挿絵から始まる。カメラの後ろには誰かがいるとも言えるし、いないとも言える。セキュリティが厳重な場所では隈なく監視されているが、コンビニのような場所では常に監視が行われているわけではない。

 このように、物事というのは一面的解釈が不可能な場合が多々ある。本書の中では、ジョージアが母と絵画についてこのような会話をする。

でも、どっちが先なのかしら?と母が言う。鶏か卵か? 下絵が先か、表面の絵が先か?
下絵が先、とジョージが言う。だって、先にそっちを描いたんだもん。
でも私たちが先に目にするのは表面の絵、それに普通、私たちはそれしか見ることがない、と母が言う。ということは結局、表面の絵が先ってことじゃない? それに、もし下絵のことなんか知らないとしたら、そんなものは存在しないのと同じことなのかも。

 例えば、オンラインストレージやSNSを使っている時のことを思い浮かべてほしい。Dropbox、Google Drive、Facebook、Twitterなどに私たちが保存・投稿したデータは、一体どこに「ある」のか。筆者は、Facebookのデータセンターがスウェーデンの北極圏近くにあるという記事を見てからは、よくスウェーデンの最果ての地を思い浮かべるようになった。

 私がワードで書き、今読者の皆さんがネットで読んでいるこの記事は、どこに「ある」のか。皆さんの画面の中が「葉」あるいは「花」だとすると、私がワードに書いている記事は「幹」あるいは「根」のようなものだ。しかし、そうした関係はほとんど意識されることがない。画面の中で複雑に張り巡らされている「枝葉」を感じられれば、私たちはもっと「向こう側」に行けるのではないか。そうした気付きを本書から得ることができる。

 そうした時系列を飛び越えるパワーを持つ本書の秘密は、上記に引用した一節にもあるように「どっちが先なのかわからない」という点にある。そして、フランチェスコの章とジョージアの章はどちらも「第一部」という章立てがしてある。あとは本書の内容やあとがきを読んで、ぜひこの秘密を共有する1人となってほしい。

文=神保慶政