「それでも親子でいなきゃいけない?」毒親との関係を見直せる痛快コミックエッセイ

マンガ

更新日:2018/12/21

『それでも親子でいなきゃいけないの?』(田房永子/秋田書店)

近年は「毒親」という言葉が一般的に使われるようになってきたが、親子関係に息苦しさを感じても「自分さえ我慢すればいい」と考えている方はまだまだ多い。しかし、「親といるとなんだか息苦しい」「ありのままの自分でいられない」という気持ちを抱いたことがある方は『それでも親子でいなきゃいけないの?』(田房永子/秋田書店)を参考にし、自分が置かれている状況を客観視してみてほしい。

本作は、自分を支配して第二の人生を生きようとする母親との葛藤を描いた『母がしんどい』(KADOKAWA)のその後を記したコミックエッセイで、著者の体験談以外にも、強烈な毒親エピソードが多数収録されている。

毒親に育てられた方は自分の親が毒になっているということに気づかず、自分自身を責めてしまっていることも多い。自分の時間を自分のために使うという当たり前のことができなくなるので、知らないうちに親のための人生を歩んでいることもある。だが、同じような状況を経験している人がいることを知ったり、著者の考えに触れたりすれば、自分の人生を取り戻すヒントが得られるはずだ。

advertisement

本作では親とのしんどいしがらみがコミカルなタッチで描かれているため、読後に気分が落ちてしまう心配もない。「インタビュー編」「考察編」「エッセイ編」の全3章にわたって描かれている毒親エピソードは、親子関係に悩んでいる方に解決策を与えてもくれるだろう。

■毒親育ちあるある…なぜか親に似た人に惹かれてしまう

本作に掲載されている数多くの毒親エピソードの中でも特に筆者の心に響いたのが、自分の話をまったく聞いてくれない母親から逃れたにもかかわらず、自分の話を聞いてほしがる友達にばかり引き寄せられてしまう方の話だった。親とのしがらみを断ち切りたいのに、なぜか親に似ている人に惹かれてしまうのは、毒親育ちあるあるだといえる。

筆者の家でも、頑張った話や褒めてほしい話をしても、母親がすぐに自分の話題へすり替えてしまうのが日常であり、周りにいる友達も「自分の話を聞いてほしい派」がほとんどであった。

こんな風に、小さい頃から親に聞き役でいることを求められ続けていると、自分の気持ちをどう吐きだせばいいのか分からなくなり、誰かに感情や意志を伝えることが怖くなる。実際、筆者も母親に話を聞いてもらえず、父親からは「そんなことを言っていたら世間から笑われるぞ」と言われ続けていたため、自分の意見には価値がないと思いながら生きた。自分の話ばかりする友達を無意識のうちに作ってしまっていたのも、自分の言葉を口に出す怖さを味わわなくて済むからだったのかもしれない。

自分にとって親が毒になっているという事実は、とても悲しいものだ。しかし、それに気づけたからこそ、心が軽くなったり、これまでの自分を認めてあげることができたりもするはず。言葉にできない親子関係の悩みを抱えている方は、自分らしい人生を歩むために本作を活かしてみてほしい。

■しんどい親とは絶縁してもいい

世間一般では、親は「よいものである」という認識が強い。そのため、本書の主人公のように、「親から逃げたい…」と思っても、本当に逃げてもよいのだろうかと悩んでしまうものだ。だが、心が悲鳴を上げているのであれば、勇気を出して親と絶縁するのもひとつの対処法であると本書は示している。

本書は、「絶縁」に関する世間一般のイメージとは違った側面を教えてくれた。絶縁という言葉にはどうしてもネガティブなイメージを持ってしまいがちだが、距離を取ることによって毒親のよいところを思い浮かべられ、親をひとりの人間として冷静に見ることができるようにもなる。絶縁を逃げではなく、“自分の心と向き合う時間”として捉えれば、今後の親子関係をどうしていきたいのかも見えてくるはずだ。

毒親育ちの方は親のことで頭がいっぱいになりやすいため、「親孝行をしなければならない」という焦燥感に駆られることもあるだろうと思う。しかし、そうした想いの発生源が、自分の感情ではなく、親の感情や世間の目であるならば、まずは自分の感情や意志を優先できるよう“自分孝行”をしていこう。自分孝行を通して、人生は自分が楽しむためにあるものだということを思い出せたら、毒親の魔の手からも逃れやすくなるはずだ。

本書の主人公のように、毒親に育てられると、大人になってからも親に振り回された人生を歩んでしまうことが多い。しかし、そんな時こそ本作のタイトルを口に出し、自分がどう生きていきたいのかを心に問いかけてみてほしいと思う。心を殺し続けながら親子でいなければならない理由は、どこにもないのだから。

文=古川諭香