絶望があるから、希望がある――太宰治が生んだ“絶望名言”

文芸・カルチャー

公開日:2019/1/5

太宰治の絶望語録』(豊岡昭彦:編/WAVE出版)

 個人的な感想だが、物事に対してポジティブ、パワフルに立ち向かえる人は減っているように思う。不況が長すぎるせいだろうか? 希望を持てない人が増えている印象があるのだ。しかし、自分も10代の多感な時期には「どうせうまくいかないかもしれない」などと感じてしまうこともあったわけで、決して今の時代だけが特殊なものではないのだろう。それに、とことん絶望し、落ちるだけ落ちたら、そこには希望が見えてくることもある。そこで目に入ったのが、『太宰治の絶望語録』(豊岡昭彦:編/WAVE出版)だった。

 太宰治といえば、愛人との入水自殺というショッキングな人生の最期を迎えたことが有名である。それ以前にも自殺未遂を何度か起こすなど、陰の部分が多い作家だ。太宰治は芥川賞を切望していたことも明らかになっている。これは、2015年に発見された太宰治の手紙でわかったものだ。芥川賞の選考委員をつとめていた作家に向け、なんと4メートルにも及ぶ膨大な量の手紙で「私を見殺しにしないで下さい」といった内容が綴られているのだから、その執着には恐れ入る。筋金入りのネガティブ作家といってもいいのかもしれない。

 本書は、太宰治の作品中にちりばめられた「絶望語録」を集めたものだ。個人的に最もすごいな、と感じたのは「ちかごろの僕の生活には悲劇さえ無い」というものだった。この語録が使われている『正義と微笑』の一節を紹介しよう。

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五月四日。火曜日。
晴れ。きょう蹴球部新入部員歓迎会が学校のホールで催された。ちょっと覗いてみて、すぐ帰った。ちかごろの僕の生活には悲劇さえ無い。

 この作品は日記形式のものだが、この締め方から前は悲劇が繰り返されていたのでは…と予測できるのも痛々しい。しかし、悲劇さえなくなったという、悟りのような清々しさも感じられるから妙なものだ。ということで、次を紹介しよう。

昨年は、何も無かった。
一昨年は、何も無かった。
その前のとしも、何も無かった。

 やめてくれ! これは、もう、何も言い返せないじゃあないか。例えば、落ち込んで元気がない人に慰めの言葉をかけ、返ってきた言葉がこれだったら? いやいや、考えただけで怖い。何も言えない負のオーラを感じてしまう。しかし、太宰治の絶望語録を読んでいくと、自分を丸裸にする潔さがある。そして、不思議だが、前を向きたくなる。それは、こんな一節に出ている。

死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。
これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

 思わず「よかったね」と涙してしまうような一節である。結果的に太宰治は自殺という形で人生を終えているわけだが、それでも名を残す作家として生き抜いた。自分の人生を恥と言い、絶望しながらも、書くという業を成して彼なりの天寿を全うしたことに違いはない。だから、ネガティブな語録でいて、なぜだか前向きになれる。

 太宰治の作品は10代の頃に数冊読んでいるが、当時はなんとなく読んだに過ぎず、実際のところあまり共感できた試しがない。しかし、大人になってさまざまな経験をし、恥をかき、それでも生きていると、不思議と太宰治の良さがわかってきた。この、自分をどん底につき落とす変な強さは何なのであろうかと。体裁を飾るより、ずっと人間味がある。自分を丸裸にした人間は強さがある。彼の作品を個別にだらだらと読むより、本書のように彼らしい悲観の言葉を集めて絶望に浸るのも、悪くない。とことん絶望の世界をさまよったら、そこには希望が見えてくるかもしれない。

文=いしい