樹木希林が遺した言葉5選「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」

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更新日:2018/12/26

『一切なりゆき 樹木希林のことば』
樹木希林/文藝春秋)

 2018年9月、女優の樹木希林さんが75歳で亡くなった。様々なドラマや映画、CMで見せた個性的な姿だけでなく、内田裕也氏との波乱の結婚生活、娘・也哉子さんとの関係(娘婿は本木雅弘さん)など私生活も何かと注目を集め、正直ひとことでその人となりを語るのは難しい。

 このほど刊行される『一切なりゆき 樹木希林のことば』(樹木希林/文藝春秋)は、そんな樹木さん自身の言葉を集めることで「樹木希林という人」を知る格好の1冊。平明な語り口ながらどこかユーモラスで、なにより深い。晩年の飄々とした存在感に憧れる人も多いが、そんな彼女の「軸」を感じるいくつかの言葉を紹介しよう。

「私が」と牙をむいているときの女というのは醜いなあ

 樹木さんは早くからありのままの自分を認め、「だからこそ見える」ことをいくつも言葉に残してきた。美について、エイジングについて、脇役でいることについて、女優という仕事だからこそ俯瞰できる「女のエゴ」の指摘はするどい。エゴをふりかざすのは「そういうことをしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかな」と喝破する44歳の樹木さん。いまどきのインスタ女子も、ちょっとドキっとしたりして。

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「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる

 娘の結婚の翌年(53歳)に、大往生について問われたときの言葉。将来は子供たちと同居し、自分の「死に際」を見せることで「人の死」を実感して生きてほしいと、人生折り返し地点での「決意」を語る。「終了するまでに美しくなりたい、という理想はあるのですよ。ある種の執着を一切捨てた中で、地上にすぽーんといて、肩の力がすっと抜けて」。まさにそんな人生を送られたように思う。

私の中のどろーっとした部分

 執着とは無縁の生き方に思えるが、それでもやはり「どろーっとした部分」がある。「それがあってもいい」と思えるようになって「少し、ラクになった」と語る71歳の樹木さん。そんな人間臭さも魅力だ。

モノがあるとモノにおいかけられます

 かつては安物買いの銭失いだったが、あるときからモノを持たない、買わないという生活になったそうだ。モノへの執着についても多くの言葉を残すが、「持たなければどれだけ頭がスッキリするか」という73歳当時の言葉は、シンプルに生きることも「強さ」の秘訣と教えてくれる。

人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前

 いつも「人生、上出来だわ」と思い、うまくいかないときは「自分が未熟だったのよ」でおしまいにする。「こんなはずでは」と思うとき、他人の価値観や誰かと比較してそう思うだけじゃないのか考えたほうがいい。「本人が本当に好きなことができていて『ああ、幸せだなあ』と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ」。あくまでも「自分」で生きる、73歳の境地だ。

 その人生に思いを馳せながら、自然に読む人にも自らの生き方を振り返らせてくれる含蓄ある言葉の数々。晩年、「老い」や「死」をテーマにした取材の多さに閉口しながら、「私の話で救われる人がいるなんて、依存症というものよ」と切り返したというが、その軽妙さがあるからこそ誰の心にもやわらかくしみるのだろう。巻末の娘・也哉子さんの喪主代理の挨拶と共に、じっくり味わってみてほしい。

文=荒井理恵