ライ麦畑、バナナフィッシュ、村上春樹翻訳…生きづらさを知る全ての人へ。生誕100年サリンジャーをいっき読み!

文芸・カルチャー

2019/1/26

『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー:著、野崎 孝:訳/白水社)
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー:著、村上春樹:訳/白水社)

 今年2019年は作家・サリンジャー生誕100周年。書店などで彼の作品を目にする機会が多くなるだろう。現在、彼の自伝的映画『ライ麦畑の反逆児』(映画公式サイト)も公開中だ。

 ふだんあまり小説は読まないし、「『ライ麦畑』や『バナナフィッシュ』といったワードは聞いたことあるけど、これ小説の名前だったの? 読んだことないけど…」という方は、今年はまさに、あなたにとって一生ものの物語に出会えるチャンスの年。まずは、代表作『ライ麦畑でつかまえて』を読んでみたい。

■『ライ麦畑でつかまえて』そのあらすじと読みどころは?

 主人公は、16歳のホールデン・コールフィールドという男の子。大きな事件がおこるとか、主人公が何か事件を乗り越えて成長するといった見せ場はない。むしろ、何もおこらないと言っていいくらいだ。

 文章は、主人公がクリスマス休暇の出来事を一人称で語るスタイルだ。学校のことや、昔のガールフレンドに会いに行ったこと、妹との会話などを、精神科病棟らしき場所で思い出している。印象的なのは、背景のニューヨークの街がとにかく寒そうなこと、どこにもなじめない思いを抱える「僕」が、とにかくひとりぼっちなこと。といっても、本の印象や心に残る場面というのは、結局は読み手それぞれだと思うので、読者同士で語りあうのもおもしろいかもしれない。

『ライ麦畑でつかまえて』は1950年完成の小説なので、今年でもう70年近く経つというのに、なぜいまだに熱い支持者を多く持つのだろうか。小説に描かれているニューヨークの風景も過去のものなのに、生命力が衰えない…。何がそんなに印象的なのだろう。

 その気持ちを無理やり言葉にしてしまうなら、自分の心の中の何だかよくわからない悲しみやいらだちを、ピタリと言葉で表現してくれる人に出会って「そう、そう、それだよ!」とテンションが上がる感じか。このひとりぼっちは私だけの感情じゃなかったと、一瞬救われたような気持ち、共感の喜びとでも言おうか。

 この作品は長い間、“青春小説”というカテゴリーで語られてきた。理由は、主人公の感覚の繊細さと、嘘やごまかしで生きる人たちを嫌うことが、思春期特有の感覚だとみなされているからだ。

 しかし、大人になった今なら、もっと別の、より真に迫った見方ができる気がする。作品が誕生するまでの説明は映画に譲るとして、主人公の、100パーセントの純粋な美しさを求めつつ、汚い現実の中で自分もその汚い現実の一部だと半分知りつつ生きている疲労感と孤独感は、生きづらさを知るすべての人に響くと思うのだ。

■人の心に静かに響くストーリーを数々生んだサリンジャーとは?

 この物語をどんな意図で書いたのか、と著者本人に聞くのは野暮だろうが、こんなに人の心に沁みる話が書ける著者ってどんな人? というのは、やはり気になってしまう。しかし、彼はメディアに出ることを嫌い、積極的な人付き合いを避けた生活の中で亡くなっているので、著者像、例えば主人公・ホールデンがどこまで作家・サリンジャーに近いのか、などは純粋に作品群から想像するしかない。

 さて、他の作品はどのように読んでいこうか。作品が発表された順に読むのも良いが、紹介は読みやすさ優先で挙げてみたい。

『フラニーとゾーイー』(J.D.サリンジャー:著、野崎 孝:訳/新潮社)
『フラニーとズーイ』(J.D.サリンジャー:著、村上春樹:訳/新潮社)

 まずは、『ライ麦畑』と同じように兄と妹が出てくる『フラニーとゾーイー』。そして、これを読むと主人公の2人には兄が複数いることがわかる。その兄のひとりであるシーモアの自殺を描いたのが、短編「バナナフィッシュにうってつけの日」だ。これは短編集『ナイン・ストーリーズ』に収められている強烈に印象的な1編だ。このシーモアというキャラクターについて興味がわいたならば、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を読み進めてみよう。あるいは、そのまま短編集『ナイン・ストーリーズ』をすべて通してすべて味わうのも粋かと思う。

『ナイン・ストーリーズ』(J.D.サリンジャー:著、野崎 孝:訳/新潮社)
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―』(J.D.サリンジャー:著、野崎 孝、井上謙治:訳/新潮社)

 どうだろう? 少しサリンジャーという著者像に近づけただろうか。サリンジャーの作品群からあふれる切ない苦しみは、きっと生きづらいあなたの辛さに寄り添ってくれることだろう。

文=奥みんす